元プラスマイナスの岩橋良昌が語る、吉本興業との契約解消の舞台裏とその後の人生。「かまいたちに負けてる自分がつらかった」と吐露する一方、ネット配信や個人事務所で“自分のペース”を取り戻した今は「すごく幸せ」と語る。暴露の理由、相方への思い、テレビ離れの本音、そして英語配信での海外挑戦――苦悩と再出発のすべてが明かされる。
元プラスマイナス岩橋
本音と自由
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「しんどかった。でも、今は幸せです」。
元プラスマイナスの岩橋良昌が、吉本興業を離れた今だからこそ語れる“本音”を明かした。
SNSでの暴露、精神的な病、芸能界への違和感、そして“劣等感”――
多くの苦悩を乗り越えてたどり着いたのは、“誰とも比べず、自分のペースで生きる自由”。
今、岩橋は新たな肩書き「シャドウ岩橋」として、自らの手で人生を設計し始めている。
岩橋はなぜ吉本を辞めたのか?
契約解消の背景は?
「最初から辞めるつもりだったわけじゃないんです」と岩橋は振り返る。
2024年2月、コンビ解散と吉本興業との契約終了を迎えたその裏には、自身が抱える精神疾患――強迫性障害の悪化があった。
芸能界の「おかしさ」や不条理に対して感じていた違和感を、自身のSNSで発信したことが“きっかけ”となったのだ。
「自分と同じ思いをしてほしくない」――その正義感が、爆発した。
投稿後の流れは予想外だったが、岩橋にとっては“後悔のない選択”だった。
1年以上が経過した今も、その思いは変わっていない。
相方への思いは?
「今となっては、相方に迷惑をかけたなという気持ちがいちばん大きいです」
長年コンビを組んできた兼光タカシは、吉本に残ってピン芸人として活動を続けている。
当時の自分は、漫才のネタのことで相方に厳しく当たってしまっていたという。
「ミスができない緊張感の中で、お互いギリギリだったんです」と苦い記憶も口にした。
解散後も、2人は公にトラブルなく別々の道を歩み、今も連絡を取ることがあるという。
「今は素直に、応援したい」と語る声には、かつてにはなかった穏やかさがあった。
芸能界の構造に対する問題提起
吉本時代、芸人として安定した収入がある一方で、日常の多くを事務所に依存していた。
ギャラ交渉はマネージャー任せ、スケジュール管理も手放し。
「自分で何も知らなかった」と岩橋は語る。
契約解消後は、請求書の発行や収支管理まですべてを自ら行う。
そのうえで岩橋は言う。「面倒だけど、自分の人生に責任を持てる感覚がある。やっと“自分で勝負してる”って言えるようになった」と。
解散の裏にあった“芸人システム”の限界
岩橋は「やらなきゃいけない」と自分を追い込んでいた。
吉本のシステムに乗っていれば仕事は来るが、自由はない。
日々の舞台、テレビ、ネタ作り…すべてが“成果を出し続ける”前提で成り立っており、「常に緊張していた」と振り返る。
そこに重なったのが精神的な病気だった。
日々の業務とプレッシャーに強迫性障害が追いつかず、ついに限界が来たのだ。
「爆発するまで、誰にも相談できなかった」と本音を漏らした。
📊【吉本時代と現在の違い】
要素 | 吉本所属時代 | 独立後の現在 |
---|---|---|
所属体制 | 事務所任せ(吉本) | 個人事務所(完全自営) |
仕事の獲得方法 | マネージャーを介して依頼 | 自ら営業・SNS経由で獲得 |
ギャラ交渉 | すべて事務所対応 | 自分で金額を提示して交渉 |
精神状態 | 強迫観念・緊張感・病状悪化 | 自由・落ち着き・病状安定 |
人間関係 | 相方との衝突あり | ソロで気楽な仕事環境 |
独立して得た「自由」とは?
事務所なしでの挑戦
吉本を離れた岩橋は、個人事務所を立ち上げ、当初はマネージャーを雇っていた。
だが今では、スケジュール管理から請求書の発行、ギャラ交渉まで、すべてを自分でこなす。
「最初は怖かったです。でも、自由があるぶん、やりがいもある」と笑う。
芸能人としてのキャリアを“自分の手”で運営する。
それはまさに「芸人を経営する」という新しい視点だった。
主な収入源とPR戦略
現在の主な活動は、「ゴルフYouTube」と「早送りで食事するTikTok」だという岩橋。
「地味なコンテンツですけど、ニッチだからこそPR案件が来るんです」と語る。
実際、葬儀屋のアンバサダーを務めたり、忘年会シーズンには営業の仕事が入るなど、活動の幅は意外と広い。
こうした個性的な活動スタイルが、逆に“記憶に残る存在”として、オファーに繋がっているのだ。
### テレビから距離を置いた理由
「かまいたちとか、後輩がどんどん売れていくのを見るのがしんどかった」
テレビを見るのをやめたのは、単なる気分の問題ではなかった。
“負けてる自分”を認められず、心が削られていった日々。
だからこそ、今は部屋着のままで生配信できるネット番組のほうが性に合っている。
岩橋は、テレビという「大舞台」から自分を解放することで、ようやく笑えるようになった。
なぜテレビに戻らないのか?
ネットの生配信は“等身大の自分”を出せる場所。
舞台メイクも、決められたフォーマットもいらない。
岩橋にとって、それは「疲れた心を癒やす空間」でもある。
「テレビの現場にいたら、また他人と比べて苦しくなってたかもしれない」
後輩たちの活躍はうれしい。けれど、過去の自分なら“やっかみ”が勝っていた。
今はそれを手放し、「自分の道」に集中できていることが何よりも大きい。
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ネット配信市場は拡大中(2024年比1.3倍)
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若年層ほどテレビ離れ顕著
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“自室から等身大”という共感の強みがPR価値に転化
🔁【独立後の活動の流れ】
① 吉本退社 →
② 個人事務所を設立 →
③ ゴルフ&食事系コンテンツを発信 →
④ PR案件・営業の受注が安定 →
⑤ メンタルも回復し“自由な生活”を確立
ここで注目したいのは、「岩橋がテレビに出なくなった理由」だ。
単なる選択ではなく、“負けている自分”を受け入れ、次に進むための戦略だったともいえる。
この視点に立てば、芸人の在り方そのものに変化が起きていることが見えてくる。
今後の挑戦と“劣等感”との訣別
“負けてる自分”からの脱却
岩橋がYouTubeやTikTokで自分の活動を続ける背景には、「誰かと競わない」人生を選び取った決意がある。
「もう、人と比べるのはやめました」――そう言い切れるまでに、時間がかかった。
けれど、いまの岩橋には、自分に正直でいる姿がある。
英語配信で世界を狙う理由
最近、岩橋が始めたのが「英語の勉強」だ。
スマホのアプリで単語を聞き、海外ニュースを“ながら視聴”する生活。
「英語でTikTokをやって、日本にいながら海外で知名度を得たい」と語る。
それは、誰にも指図されない、新しい人生の“野望”だった。
病気も落ち着き、やっと笑えるように
独立後、岩橋のメンタルは安定してきたという。
「銀行口座の残高と相談しながら」働き、自分で休みも決める――
その暮らし方が、強迫観念から岩橋を救った。
「今はすごく幸せです」。
その言葉に、無理して笑う芸人ではない、1人の人間としてのリアルがあった。
📝 「吉本をやめても」
吉本としての肩書きを手放すことは、敗北ではない。
むしろ“吉本”から解き放たれて、自分を取り戻すことだったのかもしれない。
「他人に勝つこと」より、「自分に嘘をつかないこと」を選んだ岩橋は、ようやく“素の自分”に出会ったのだ。
生配信という小さな窓から、彼は誰とも競わず、誰とも比べず、ただ自分の声を届けている。
それは、もしかすると芸人だった頃よりも、ずっと人を笑顔にしているのではないだろうか。
❓【FAQ|よくある質問と回答】
Q1. 岩橋さんが吉本を辞めた直接の理由は?
A. SNSでの暴露投稿がきっかけですが、精神的負担と強迫性障害の悪化が背景にあります。
Q2. 現在の主な収入源は?
A. ゴルフや食事動画のYouTube/TikTok配信、PR案件、営業ネタなどが中心です。
Q3. なぜテレビに出演しないのですか?
A. 後輩の活躍への“劣等感”があり、自分の心を守るためネット中心にシフトしています。
Q4. 再び漫才をやる可能性はありますか?
A. 本人は否定しています。精神的な負担が大きかったため、今後もコンビ復帰は考えていないようです。
Q5. 今後はどんな活動をしたいと考えていますか?
A. 英語配信を通じて海外発信に挑戦し、個人事務所をさらに成長させたいと語っています。