ロックバンド「The SALOVERS」のボーカルとして10代で華々しくデビューした古舘佑太郎さん。しかしその背景には、フリーアナウンサー・古舘伊知郎さんを父に持つ“二世”としての葛藤がありました。「僕は携帯のストラップだった」——そんな言葉に込められた想いと、ライブの中で叫ぶことでようやく解き放たれた苦悩。その軌跡をたどります。
古舘佑太郎
苦悩と再生の記録
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父の名前に縛られていた僕が、それでも“僕”になるまで
「有名人の子ども」というレッテルは、時にその人自身の輪郭をかき消してしまう。ロックバンドでのデビュー、音楽と演技の世界での挑戦――古舘佑太郎さんが歩んできた道には、常に“父の名前”がついてまわった。
それでも彼は、自分の言葉と声で、その重圧と向き合い、乗り越えてきた。
これは、“誰かの息子”としてではなく、“自分自身”として生きるために選んだ、ひとりの青年の物語だ。
✅ 見出し | ▶ 要点 |
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父は有名人 | フリーアナ・古舘伊知郎の息子として生まれた |
自己否定の時代 | 自分の名前・経歴に強い嫌悪を抱いていた |
音楽での挑戦 | バンドを結成し、コンプレックスと向き合った |
二世の重圧 | 音楽ですら“親の影”を感じ苦悩が深まった |
なぜ“父の名”がコンプレックスになったのか?
10代のデビューと「羨ましい」の圧力
ロックバンド「The SALOVERS」のボーカルとして2010年にデビューした古舘佑太郎さん。多くの若者が憧れるステージに、10代で立った彼の姿は、一見すると“恵まれたスター街道”のように映る。しかし、彼の中ではまったく異なる感情が渦巻いていた。
「うらやましい」「すごいよね」――そんな言葉が周囲から投げかけられるたびに、心の底に沈殿していったのは、むしろ“自分の経歴そのもの”への嫌悪だった。東京出身で、慶應の一貫校に通っていた過去も含め、周囲の目線は常に「選ばれた人」だったが、本人はそれを“自分にくっついた余計なタグ”だと感じていたという。
「古舘の息子」というラベルが貼られる日常
本人が語るように、「名字が珍しいこと」が彼の人生にずっとついて回った。病院で名前を言えば「お父さん、あの古舘さん?」と聞かれ、初対面の大人にプライベートな父親の話を求められることも日常茶飯事。まだ幼かった彼には、その問いかけ一つひとつが、自分の存在を薄くするように感じられたのだ。
「僕は何者でもないのに、“誰かの息子”ということで認知される。僕自身の価値とは何か?」――そんな問いが、彼の思春期を蝕んでいった。
病院での一言/学校での違和感/「慶應だから…」という目線
自分の背景が特別であることは否定できない。しかし、その“特別さ”が彼にとっては「居心地の悪い鎖」だった。学校では周囲の大半がテレビ局や官僚、経営者になる道を志しており、「自分もその空気に乗っているけど、どこかズレている」。そして、音楽の世界に飛び込んだ後も、「地方出身の仲間たちの情熱と、自分の存在理由とのズレ」を強く感じ続けた。
自分だって「普通」でありたかった
どこにいても、8割は共感できるのに、2割だけ“違う”と感じる――。その2割のズレは、次第に自己否定へと変わっていった。「普通の友達と同じように駄菓子屋に行ってたのに、“芸能人の子どもってこうでしょ”って勝手に言われる」。その“違う”の一言が、本人にとってはずっと胸の奥に刺さり続けた。
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コンビニや駄菓子屋に通った経験も偏見で否定される
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「みんなと同じ人間なんだ」と叫びたかった
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特別になりたいのではなく、“普通”でいたかった
✅ 比較項目 | ▶ 古舘佑太郎の場合 |
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二世のイメージ | 恵まれた環境で楽をしている |
実際の感情 | 名前が邪魔、自分自身を隠したい欲求 |
スタート地点 | “何者でもない”ではなく“誰かの息子” |
コンプレックスの根源 | 他人からの期待・先入観・偏見 |
向き合い方 | 音楽という手段で自分を証明しようとした |
どのように“二世”という宿命を受け入れたのか?
「ライブで名前を叫んだ」転機の夜
転機は、意外にも舞台の上にあった。The SALOVERSの活動を休止した後、新たに始めたバンド「THE 2」のライブでの出来事。Twitterに「父上へ 初めてLIVE観に来ませんか?」と軽く呼びかけたところ、父・古舘伊知郎氏が実際に渋谷クラブクアトロに現れた。
そのステージで、佑太郎さんは歌の合間に〈親のこと裏切ってしまいたい〉というフレーズと共に、会場にこう叫んだ。
「古舘伊知郎の息子なのによお!!」
クアトロが一体となって大歓声を上げた瞬間、それまで抱えていた“隠したい自分”が音に変わり、エネルギーとなって放たれた。「コンプレックスって、こうやって笑いに変えていいんだ」と、初めて思えたという。
仲良くなった父、尊敬できた父
若い頃は“父親の名前”という巨大な看板が苦しかった。しかし歳を重ね、父が丸くなり、自分も経験を積んだことで、関係性は大きく変化した。テレビに出演する仕事が増える中で、徐々に父の凄さを実感できるようになり、ようやく「自分は父を本当に尊敬している」と認めることができた。
今ではバラエティ番組で親子共演することもあるが、それは「父を受け入れられた」ことの象徴ではなく、「父にとらわれすぎない自分になれた」ことの証なのだ。
【宿命との対峙から転機までの自己内対話プロセス】
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生まれながらの“古舘の息子” →
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周囲の視線が嫌で音楽に逃避 →
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音楽でも「二世」と呼ばれ続けて苦悩 →
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ステージでコンプレックスを解放 →
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父との関係が自然に近づく →
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尊敬と自己肯定が両立する境地へ
✅ 見出し | ▶ 要点 |
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転機となったライブ | 父の前で“息子”であることを叫んだ |
自分を笑いに変える力 | コンプレックスが観客の熱気に変わった |
父への感情の変化 | 反発から尊敬へ、自然な関係に |
自分の“牙”が抜けた時期 | 優等生としての思考にシフトしていた |
ライブでの「叫び」は、古舘佑太郎という一人の人間が“誰かの息子”を脱ぎ捨て、自分として立った瞬間だった。その舞台の熱気は、観客だけでなく彼自身の心をも解放したのかもしれない。
“みんなと同じ人間なんだ”という実感に辿り着くまで
「特別じゃなくていい」と思えた日
佑太郎さんがたどり着いたのは、「特別でなくてもいい」という地点だった。かつては「何者かにならなきゃ」と焦り続けていたが、その“何者か”は常に他人の目が決めるもので、自分の中にはなかった。
それが今では、ふとした日常に、「自分は普通の人間だ」という静かな肯定を見出せるようになった。大人になった今、「二世タレントも悪くない」と笑って言えるようになったのは、環境のせいにせず、自分の道を“手で”掘り続けてきたからだ。
20代の挫折と自己受容のプロセス
The SALOVERSの活動休止、俳優としての試行錯誤、そしてTHE 2の活動へ。挫折が続いた時期には、「どうしてこんなにうまくいかないのか」と何度も自問した。しかし、時間をかけて削がれた自意識の中に、本来の佑太郎さんが見えてきた。
牙を研ぐよりも、地道に自分の輪郭を作り直すこと。それが、彼にとっての“再構築”の道だった。
人物紹介|古舘佑太郎(ふるたち・ゆうたろう)
古舘佑太郎さんは、1991年4月5日生まれ、東京都出身のミュージシャン・俳優・ナレーター。フリーアナウンサーでタレントの古舘伊知郎さんを父に持ち、“二世タレント”としても知られる存在です。
2008年、高校在学中にロックバンド「The SALOVERS(ザ・サラバーズ)」を結成。2010年にメジャーデビューを果たし、ストレートな歌詞と骨太なロックサウンドで注目を集めました。2015年にバンドが活動休止となった後は、ソロ名義や「2(ツー)」名義で音楽活動を継続。
また、2017年にはNHK連続テレビ小説『ひよっこ』への出演をきっかけに俳優としても注目され、以後はテレビドラマ・舞台・映画と活動の幅を広げています。声優やナレーションの仕事も多く、透明感ある声と落ち着いた語り口が評価されています。
近年の主な出演作・活動
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舞台『世界は一人』(2019年)
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ドラマ『さよならの向う側』(2022年、読売テレビ)
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ドラマ『君となら恋をしてみても』(2023年、テレビ東京)
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音楽活動名義「2(ツー)」でアルバム『天国的休暇』(2022年)をリリース
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NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』ナレーション(不定期)
2025年最新情報
2025年も引き続き音楽活動を継続しながら、俳優業としては舞台作品の出演が予定されています。また、父・古舘伊知郎さんとの“親子共演”も徐々に解禁されつつあり、トーク番組などでの姿がSNSでも話題に。かつては避けてきた「父の名」を今では自然に笑いに変える姿が、視聴者の共感と支持を集めています。
彼の現在地は、「二世」ではなく「表現者・古舘佑太郎」としての輪郭が、よりはっきりと見えてきた場所にあります。
名前の外側へ、声の届く場所へ
二世とは、「名前」であり「呪縛」でもある。だがそれは、最初から背負うことが義務づけられた“運命の背番号”なのかもしれない。
彼はその背番号を背に走るのではなく、笑って投げ捨てた。そして、何も持たずにステージへ立った――“父の息子”ではなく、“佑太郎”として。
私たちは、誰かの後ろで生きることを否定する必要はない。ただ、その中でも、自分の足で立ってみせること。それが、現代に生きる「名前を持った子どもたち」への問いかけだ。
✅ 見出し | ▶ 要点 |
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“古舘の息子”という出発点 | 名前による先入観との格闘が始まりだった |
コンプレックスとの共存 | 音楽・舞台で葛藤を笑いに変える |
父との関係 | 距離から尊敬へ、自然な歩み寄りがあった |
普通でありたいという願い | “みんなと同じ人間”であることを求めた |
【FAQ】
Q1. 古舘佑太郎さんはどんな音楽活動をしてきたの?
A1. The SALOVERSでデビュー後、ソロ活動やTHE 2を経て、音楽と演技の両立を模索してきました。
Q2. 父親との関係に変化はありましたか?
A2. 若い頃はタブー視していたが、今は自然に尊敬と親しみを持てるようになったと語っています。
Q3. “二世”としての重圧とは?
A3. 名前による先入観で「自分自身」が評価されづらく、そのギャップが強いコンプレックスだったとのこと。
Q4. なぜライブが転機になったの?
A4. 自ら父の名前を叫び、観客の歓声に包まれたことで「笑いに変える強さ」に気づいたからです。
Q5. 今の佑太郎さんが大切にしていることは?
A5. 「特別になりたい」よりも、「普通でいたい」という気持ちを大切にしています。