
2025年4月16日、青春歌謡の代表的歌手・久保浩さんが78歳で亡くなりました。ヒット曲「霧の中の少女」で一世を風靡し、昭和歌謡の象徴的存在として知られる彼の訃報に、多くのファンが追悼の意を表しています。6月にはBS特番での映像放送や、親友・三田明さんによる追悼歌唱も決定し、昭和歌謡再評価の流れが加速。今、私たちは“歌の記憶”をどう継いでいくべきなのでしょうか。
久保浩さん死去
青春歌謡の象徴
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昭和歌謡の黄金期を彩った名歌手・久保浩さんが、2025年4月16日、岡山市内の病院で亡くなっていたことが明らかになりました。享年78歳。1964年のデビュー以来、多くのヒット曲を世に送り出し、甘く端正なルックスと低音の美しい歌声で“青春歌謡”の象徴的存在となった久保さん。その訃報は、多くの音楽ファンの記憶を揺さぶり、SNSなどでも惜しむ声が相次いでいます。
久保浩さんはなぜ話題になった?
いつ・どこで亡くなったのか?
久保浩さん(本名・久保正憲 くぼ・まさのり)は、2025年4月16日午後12時01分、岡山市内の病院で脳出血による衰弱のため息を引き取りました。享年78歳。死去の発表は日本歌手協会によって5月28日に公式発表されました。
告別式は4月18日、遺族の希望により家族葬で執り行われ、喪主は長男の知也(ともや)さんが務めたとのことです。
なぜ今、注目されているのか?
久保さんは、昭和の青春歌謡ブームの中心的存在として名を馳せた歌手のひとりです。特に1964年にリリースした「霧の中の少女」は、甘く切ない旋律と清潔感のある低音ボイスが話題を呼び、同世代の橋幸夫・三田明と並び称される“吉田学校”の代表格として注目を集めました。
また、名付け親は名優・鶴田浩二であり、その名前の「浩」をとって「久保浩」と名乗るなど、芸能界との縁の深さも語り継がれています。
🔸 再び注目される「霧の中の少女」
久保浩さんの訃報を受けて、2025年6月10日に放送予定のBSテレ東『プレイバック日本歌手協会歌謡祭』では、彼が2014年に披露した「霧の中の少女」の映像が特別放送される予定です。過去の映像とはいえ、その歌声には今なお多くの人の記憶を呼び起こす力があるといえるでしょう。
さらに、6月5日に開催される「日本歌手協会 夏まつり 唄まつり2025」では、長年の親友でもある三田明さんが急きょ「霧の中の少女」を披露することが発表されました。実際の会場でも追悼の雰囲気が広がることが予想されます。
| 比較項目 | 久保浩 | 同時代の歌手(三田明) |
|---|---|---|
| デビュー年 | 1964年 | 1963年 |
| 初ヒット | 霧の中の少女 | 美しい十代 |
| 特徴 | 清潔感のある低音・端正な顔立ち | 明るく甘い声質・少年のような笑顔 |
| 現在の動き | 追悼で再評価/歌唱映像放送 | 追悼歌唱で話題/イベント出演継続中 |
どのような功績を残したのか?
青春歌謡ブームを牽引した“吉田学校”の中核
1960年代の日本において、「青春歌謡」というジャンルが多くの若者の心を掴んでいた時代――久保浩さんはその中心にいた存在でした。橋幸夫・三田明と並ぶ“吉田学校”の三本柱として、作曲家・吉田正の旋律とともに「霧の中の少女」や「白百合悲し君に似て」など、甘酸っぱさと誠実さのある歌声で一世を風靡しました。
当時の音楽界では“見た目も清潔感があること”がアイドルの条件とされていた時代に、久保さんの「爽やかさと控えめな色気」が特異な魅力として受け入れられたのです。
時代を越えて歌い継がれる名曲たち
「哀愁の街に霧が降る」「十九の春」など、久保浩さんの代表曲は今もなお多くの世代に愛され続けています。その理由の一つは、歌詞の持つ叙情性と、どこか懐かしいメロディの融合にあるといえるでしょう。
特に「十九の春」は、沖縄民謡を元にしたバージョンで再注目され、幅広い世代への橋渡し的な役割を果たしました。昭和→平成→令和と、久保さんの歌は形を変えて今も残り続けているのです。
🧠 昭和歌謡界における久保浩さんの流れ
デビュー(1964年)
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「霧の中の少女」ヒット → 吉田学校の青春スターに
↓
「白百合悲し君に似て」「十九の春」など続々ヒット
↓
1980年代以降:テレビ・地方公演でも活躍
↓
2016年:脳出血発症 → 一時休養
↓
2024年:再発 → 療養生活
↓
2025年:死去 → 追悼企画・再評価が始まる
テレビの中で、白いスーツに身を包んだ久保さんが、穏やかに「霧の中の少女」を歌っていたのを覚えている。それは私にとって「昭和」という言葉の象徴のような映像だった。
あの時代を知る者にとっては青春そのものであり、知らぬ世代にとっては新鮮な驚きだ。時代を超えて愛される歌とは何か。久保さんの歌声は、その答えの一つだったのではないか?
昭和歌謡から私たちは何を受け継ぐか?
“懐かしさ”の裏にある普遍性
久保浩さんの訃報をきっかけに、多くの人が改めて昭和歌謡に耳を傾けています。懐かしいと感じるのは、単なる時代背景ではなく、「人間の切なさ」や「喪失の予感」といった普遍的な感情が、歌の中に宿っているからです。
その歌が誰かの心に届く限り、その人は“生き続けている”とも言えるでしょう。
歌は死なない──久保浩の声が今も響く理由
人が亡くなると、私たちはその人の「存在」ではなく「残した痕跡」に心を寄せる。久保浩という人物は、もはや過去の記憶ではなく、“歌”というかたちで今なお現在に滲み出している。
歌声は一過性のものかもしれないが、その響きが心に残る限り、失われたものは完全には死なない。では、私たちはその響きをどう受け継ぐのか? それとも、次の世代にも残せる「声」を、自分の中に持っているのだろうか?
| ✅ 見出し | ▶ 要点 |
|---|---|
| 訃報の反響 | 久保浩さんの死去が広く報じられた |
| 昭和歌謡の再評価 | 青春歌謡の象徴として功績が見直されている |
| 追悼イベント | 映像放送・歌唱再現など多面的に進行中 |
| 私たちの問い | 「歌の記憶」は今後も残せるのか、が問われている |
❓ FAQ
Q1. 久保浩さんの代表曲は?
A. 「霧の中の少女」「十九の春」「哀愁の街に霧が降る」などがあります。
Q2. なぜ今、再注目されているの?
A. BSでの特別放送や追悼歌唱が予定されているためです。
Q3. 葬儀は一般参加できた?
A. 家族葬で執り行われ、一般参加はできませんでした。
Q4. 今後の出演予定は?
A. 生前映像が6月10日にBSテレ東で放送されます。