こども食堂の
「支援の限界」
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「こども食堂」は、子どもの孤食や貧困に光を当てる存在として、社会に広く知られるようになった。その名付け親であり、先駆者でもある近藤博子さんが、今、その「看板」から一線を引く決断をした。なぜ彼女はその名を離れるのか。そして、現場で見つめてきた“支援の限界”とは——。制度とボランティアの間で揺れる「こども食堂」のいまを追う。
見出し | 要点 |
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名付け親の決断 | 近藤博子さんが「こども食堂」から一線を引くと表明 |
支援の限界 | 月1〜2回の開催では、子どもの貧困は解決できない |
“理想”と“現場”の乖離 | 社会の期待が現場の実情と大きくかけ離れている |
制度の必要性 | 持続的支援には、ボランティアではなく制度化が不可欠 |
「こども食堂」名付け親の決意と限界:ボランティア支援は“制度”に届くか?
なぜ「こども食堂の名付け親」は一線を引いたのか?
「こども食堂」の名付け親として知られる近藤博子さんが、今、自らの活動に一線を引くという決断を下した。彼女が立ち上げた東京・大田区の「だんだんこども食堂」は、当初ごく小さな規模で始まったものだったが、いまや全国に1万カ所を超えるまでに広がった。
その一方で、活動の広がりと比例するように、誤解もまた広がっていった。「こども食堂=毎日あたたかな食事を提供する施設」というイメージ。あるいは「こども食堂が貧困問題を解決する」という期待。こうした“理想像”が、現場の実態とは大きくかけ離れていたのだ。
拡大と誤解の中で膨らんだ“理想像”
こども食堂の多くは、ボランティアベースで月に1〜2回程度の開催がほとんどであり、学校給食のような継続的な食事支援とはまったく性質が異なる。近藤さんは語る。「『こども食堂があるから子どもは大丈夫』なんて、そんなことはない。月1回の食事で貧困は変わりません」。
この言葉には、活動を通して得た実感と、社会とのズレに対する深い違和感が込められている。
現場に立つ近藤博子さんの葛藤
「うちは“こどもの居場所”じゃなくて、“みんなの居場所”なんですよ」。近藤さんのこだわりは一貫していた。貧困家庭の子どもだけを特別扱いすることなく、地域に開かれた場とすること。それが、子どもたちにとって自然な形で安心できる居場所になると信じていた。
しかし、活動が注目されるほど、「貧しい子どもを助ける場所」というラベルが貼られ、支援者の自己満足や“感動物語化”が目立つようになっていった。
支援と現実の乖離
2024年のある日、彼女は思った。「もう潮時かもしれない」。ボランティアによる支援の限界を感じていた。月1回の開催では日々の孤独や栄養不足に十分対応できないし、継続的な学習支援や就労支援も手が届かない。
その一方で、こども食堂に関心を持った支援者たちが、自己肯定感を満たすために関わる場面も増え、「支援する/される」の非対称な関係が強まっていたという。
✅《一般のイメージ》 vs 《現場の実態》
一般の認識 | 現場の実態 |
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毎日運営される居場所 | 月1〜2回開催が大多数 |
食事で貧困が解決される | 一時的安堵のみで根本解決には至らない |
支援者=偉い人 | 支援者も悩み・限界を抱えている |
公的サポートの補完 | 本来は制度が担うべき役割を代行 |
SNSなどで注目を集めるたびに、「よくやってる」「素晴らしい活動」と称賛されることに、近藤さんは強い違和感を抱くようになっていた。「そんなふうに持ち上げられるたびに、現実とのギャップがますます広がる気がして」。彼女の発言には、支援を“美談化”する社会に対する警鐘が込められている。
・「食事支援だけでは子どもは救えない」
・「自己責任論に繋がる構造は危険」
・「制度化が不可欠」
こども食堂では“貧困”を救えないのか?
支援は「孤食」をなくすため? それとも…
こども食堂が注目される理由の一つに、「孤食」や「貧困」の問題がある。だが、その目的が“食事提供”に留まっている限り、貧困の根本には手が届かない。近藤博子さんもこう語る。「うちに来てくれる子たちの中には、学校でも家庭でも食べる場所がない子がいる。でも、私たちは毎日は無理です」。
つまり、こども食堂は「緊急避難所」ではあるが、「生活インフラ」にはなれないという現実がある。
公的制度の“空白”を埋め続ける役割
なぜ、その“空白”がこども食堂に託されるのか? 本来であれば、家庭支援や児童福祉の制度が担うべき役割を、ボランティアが肩代わりしている構造がある。全国にあるこども食堂の大半は自治体とは独立しており、公的支援も非常に限定的だ。
制度が追いつかないからといって、支援の現場だけが背負わされるのはフェアではない。これこそが近藤さんの「一線を引く」という決断の根底にある。
こども食堂=万能という誤解
特にメディア報道においては、こども食堂が“すべてを解決する場所”のように取り上げられる傾向が強い。「感動ドキュメント」の文脈で紹介されるたび、社会全体が“安心”してしまう。そして、「じゃあ公的制度を強化しなくてもいい」と無意識に納得してしまう危険がある。
だが、それは誤解だ。現場の声は「このままじゃ、崩れる」と叫んでいる。
✅支援の構造と制度の空白
[制度が届かない子どもたち]
↓
[ボランティアが立ち上がる]
↓
[こども食堂が地域に広がる]
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[「食事で貧困解決」イメージが定着]
↓
[制度強化の議論が停滞]
↓
[支援者の疲弊と矛盾の蓄積]
見出し | 要点 |
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支援の限界 | 月1回の食事提供では日常の困窮に対応できない |
制度の空白 | 本来公的制度が担うべき役割が民間に転嫁されている |
イメージの危うさ | こども食堂が“万能”であるという誤解が広がっている |
必要な視点 | 感動ではなく構造の変革が求められている |
支援を「継続する人」が消えていく現実とは?
疲弊する現場、交代できない責任
こども食堂の現場では、近藤博子さんのように長年支えてきた“支援の柱”が少しずつ引いていく。「名を貸すだけでは済まされない」ほどの重責と期待が、運営者を静かに追い詰めていく。
実際、地域のボランティアの高齢化やスタッフ不足により、休止や閉鎖に追い込まれるケースも増えている。「やりがい搾取」と言われても仕方ない構造が、支援者を削り続けているのだ。
こどもと地域のつながりをどう守るか?
一方で、こども食堂が生んだ「つながり」は確かな成果だ。子どもが地域の人と自然に話せる空間。親が「一人じゃない」と思える場。こうした“非制度的な安心”は、行政には真似できない。
だからこそ、活動を途絶えさせてはいけない。そのためには、支援の構造を「思い」から「仕組み」へ移行する必要がある。
「子どもが主役」の支援に立ち返る
近藤さんはこう語る。「私たちが何かを“してあげる”場所じゃなくて、子どもたちが“自分の場所だ”と思えるような仕組みが必要なんです」。
これは“与える支援”から“共に育つ支援”への視点転換だ。看板や形にとらわれず、必要とされる「居場所」をつくり直す——それが彼女の次の一歩だ。
🖋「理想」という正義は、ときに人を壊す
正義は、ときに人を壊す。
こども食堂という仕組みが社会に受け入れられた瞬間、「やらなきゃ」という空気が、支援者を囲んだ。しかもその多くが“無償の善意”によって支えられてきた。だが、長く続く善意は“制度”に変わらなければ、いずれ枯渇する。
「子どもに食事を」——誰もが賛同する。だが、だからこそ問われる。「なぜそれが、制度で実現されていないのか?」という根本の疑問に、誰も向き合おうとしなかったのではないか。
“理想”は、美しい。だがそれが「現実を支える人々」を犠牲にするものであってはならない。
近藤博子という名前が、こども食堂の“看板”から外れるとき、私たちはようやく気づくべきだ。この国の支援は「見たくない現実」を、優しい言葉で包んで、置き去りにしてきたのだと。
Q&A|よくある質問とその回答
Q1. なぜ近藤博子さんは「一線を引く」と決めたの?
A1. 現場の限界と、公的支援の必要性を強く感じたからです。「名付け親」としての責任が、逆に“改革”を止めてしまうと判断したためです。
Q2. こども食堂の運営はすべてボランティアなの?
A2. 多くは地域の有志や団体によるボランティアです。一部自治体からの支援もありますが、継続的な運営を保証する制度にはなっていません。
Q3. 全国にどれくらいこども食堂があるの?
A3. 2024年時点で、全国に約1万カ所を超えるこども食堂があります。
Q4. ボランティアが限界でも、なぜ制度化されないの?
A4. 社会的イメージや政治的な優先順位の低さが影響しています。感動的に見える取り組みほど、“制度に頼らない姿勢”として過小評価されがちです。
見出し | 要点 |
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名付け親の決断 | 近藤博子さんが「こども食堂」から一線を引いた理由 |
支援の構造 | 制度ではなくボランティアが主軸の限界 |
現場の実情 | 運営者の疲弊、スタッフ不足、誤解による過剰期待 |
次の一歩 | 子どもを“主役”にした新たな支援の仕組みが必要 |