北海道函館市のアパートで、83歳の父親が死亡しているにもかかわらず、遺体が自宅に放置されていたという衝撃の事件が発覚しました。逮捕されたのは、同居していた52歳と47歳の兄弟。2人は「葬式のお金がなかった」と供述しており、経済的困窮が遺体放置という選択につながったと見られています。支援制度の存在すら知らず、声をあげられない家族──この事件は、現代日本が抱える“届かぬ福祉”と“沈黙の貧困”を突きつけています。
83歳父の遺体を放置
兄弟逮捕
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「父の遺体をそのままにした…」函館市で遺体を放置していた兄弟が逮捕。「葬儀代がなかった」と語った供述が波紋を呼んでいます。制度があっても届かない“支援の壁”と、社会の孤立をどう乗り越えるかを考えます。
兄弟はなぜ父親の遺体を放置したのか?
事件はいつ・どこで起きたのか?
北海道函館市美原1丁目のアパートで、6月2日午後、83歳の男性が自宅の一室で死亡しているのが発見された。遺体は布団をかけられた状態で横たわっており、目立った外傷はなかったが、死後数日は経過していたとみられている。
現場にいたのは、この男性と同居していた2人の息子だった。兄の工藤正昭容疑者(52)はとび職、弟の工藤隆昭容疑者(47)は無職。2人は共に死亡の事実を把握していながら、父親の遺体を届け出ることなく放置していた疑いで、死体遺棄の容疑により逮捕された。
事件の発端は、福祉施設の職員からの連絡だった。6月2日午後、「午後5時半ごろに安否確認に行くので、警察も同行してほしい」との要請を受け、警察官が同施設職員とともに現地を訪問。室内で遺体を発見した直後、2人の息子がその場にいたため、現場で事情を聞き、容疑が固まったとしてそのまま逮捕された。
兄弟はなぜ通報をしなかったのか?
警察の調べに対し、兄の正昭容疑者は「葬式のお金が貯まるまでは、父さんをそのままにしておこうと思った」と供述。弟の隆昭容疑者も「葬儀代のお金がなかったので、父の遺体を家に放置していました」と話しており、いずれも経済的な事情を理由に挙げている。
遺体の放置は少なくとも5月中から続いていたとみられ、経済的困窮の中で対応ができなかったことが背景にある可能性が高い。警察は今後、死因の特定や届出を怠った経緯、周囲との接触状況などを慎重に調査していく方針だ。
金銭的理由により、家族が死後の手続きを放棄するという事案は、これまでにも全国で散発的に報告されている。特に、高齢者とその家族が生活困窮状態にあるケースでは、葬儀費用や届出に伴う心理的・経済的負担が障壁となることがある。
経済的困窮がもたらす「届出困難」
近年、全国で「孤独死」や「無届け死」の事案が増加している背景には、経済的理由で家族が適切な届出や葬儀を行えないという現実がある。葬儀費用は簡素な形式でも20万〜30万円程度が必要とされており、日々の生活費すら困難な世帯にとっては大きな負担となる。
特に生活保護を受給していない世帯や、非正規就労・失業中の家族構成では、葬祭扶助制度の存在すら知られていない場合も多い。今回のケースにおいても、兄弟が制度にアクセスできなかった、あるいは手続きへの精神的ハードルがあった可能性が指摘されている。
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葬儀費用の全国平均:約39万円(民間調査)
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葬祭扶助制度:申請型であり、知識がないと使えない
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地方自治体の情報不足とサポート体制の遅れが課題
社会はどうこの事件を受け止めるべきか?
同様の事件は防げるのか?
今回の事件は、経済的な理由で適切な届出すら行えなかった現実を浮き彫りにした。「遺体をそのままにしておいた」という言葉の背後には、制度の周知不足と支援の届きにくさが潜んでいる。工藤兄弟のように、生活困窮者が公的支援の制度そのものを知らず、行動に移せないケースは全国に存在している。
葬儀費用に限らず、生活保護や医療・介護支援といった制度も、制度を「使える人」と「知らずに使えない人」の間で格差が生じている。特に地方部では、自治体や社会福祉協議会の人手不足・訪問頻度の減少が問題視されている。
制度があることと、それが届くことはまったく別の問題だ。今後は、制度の告知・申請のしやすさ・福祉機関のアウトリーチ強化など、制度設計の改善が求められる。
発覚までの経緯
[父・工藤幸美さん死亡]
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[兄弟が遺体を放置(5月頃〜)]
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[福祉施設の訪問予定(6/2)]
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[施設職員→警察に同行要請]
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[自宅訪問 → 遺体発見 → 兄弟その場に在宅]
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[現場で事情聴取 → 死体遺棄容疑で逮捕]
この事件を「他人事」と感じる人もいるかもしれません。しかし、もしあなたの隣人が、同じように誰にも看取られず、最期を迎えていたとしたら? 届け出がされないのは、無関心だけが理由ではありません。「声をあげる力が残っていない」家族や、制度にすらたどり着けない人が、静かに苦しんでいる現実があるのです。
この事件の本質は、貧困という“静かな孤立”です。制度が整っているはずのこの国で、なお救われない人がいる──。私たちはそれに気づけるか、気づこうとするかが問われています。
経済的理由と倫理の分岐
「金がなかったから父を放置した」と聞けば、誰もが眉をひそめる。しかし、その一文だけを嘲笑うことは、容易い。では、誰が彼らに「やり直せる」社会を与えたか?
社会福祉は存在する。だが、届かない。正確には、“届かせる”構造が、設計されていない。制度は制度として完成していても、そこに人間の感情や混乱や、罪悪感をはさむ設計はなされていない。
この事件を悲劇で終わらせず、制度や社会の“傍観”が誰かを死者の隣に座らせてしまう現実に、声を出すべきだ。私たちは、制度の正しさより、届くかどうかに責任を持つ段階に来ている。
✅ FAQ
Q1:死体遺棄罪の法的定義とは?
A1:正当な手続きをせず遺体を隠匿・放置する行為。故意性が問われる。
Q2:葬儀費用に困窮する家庭への支援制度はある?
A2:生活保護受給者を対象に「葬祭扶助制度」が存在するが、申請手続きが複雑な場合もある。
Q3:今回のような事例は他にもある?
A3:報道されていない例も含め、全国で年数十件程度確認されている(高齢者孤独死含む)。