筑波大学が2029年度に人文系3学類を統合し、新たに「人文学専門学群」へ改組する方針が明らかに。背景には少子化と中教審の大学再編答申があり、国立大学改革の先駆けとなる可能性も。一方、教員からは教育の質の低下を懸念する声が上がっている。
筑波大学
人文系学類を統合
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筑波大学、人文系学類の統合・再編へ 教員らに広がる懸念と反発の声
少子化の影響を受けて再編が加速する大学制度。その最前線に立たされたのが、筑波大学の人文系組織だ。2029年度に予定される3学類の統合と学群の改組は、高等教育改革の象徴的事例ともなりうるが、学内からは教育の質の低下を憂う声も上がっている――。
筑波大学はなぜ人文系の組織統合に踏み切るのか?
筑波大学は2029年度をめどに、人文・文化学群に属する3つの学類――人文、比較文化、日本語・日本文化――を統合する計画を進めている。さらに、それらを包括する学群自体も「人文学専門学群」として改組される見通しだ。
この動きの背景には、少子化による18歳人口の減少と、それに伴う文部科学省の大学再編方針がある。中教審(中央教育審議会)は2024年2月、大学教育の「適正規模化」を提言しており、今回の筑波大学の改革は、その先陣を切る可能性がある。
学内文書によれば、大学側は「専門分野の細分化」「科学・工学リテラシーの低さ」「産業界との断絶」といった人文学の課題を挙げており、「教養知と専門知を両翼とする総合的人文学」の構築を目指すという。
教員らの危機感と反発の背景とは?
一方で、現場の教員らからは厳しい声が上がっている。再編の話が初めて教員に示されたのは2024年5月ごろ。大学上層部は「教員数の大幅削減」を念頭に統合の必要性を主張したが、当初は一部の反発で立ち消えとなった。
しかし翌2025年3月、方針は「報告事項」として改めて提示された。しかもこの時点でも、教員による審議プロセスを経ておらず、透明性や合意形成に疑問が残った。
ある関係者は、「人文学には人文学のやり方があるのに、それを無視した拙速な統合では、教育の多様性が失われる」と批判。「マスプロ授業が中心となれば、学生との対話型学習は難しくなる」として、教育の質の低下を懸念する声が広がっている。
統合による授業運営の変化と懸念点
統合後のカリキュラムでは、専任教員が減ることで、少人数のゼミ形式や専門科目の多様性が担保されにくくなる恐れがある。また、複数分野にまたがる「総合的人文学」という構想自体に対しても、「抽象的で現場の具体性が見えにくい」とする見解もある。
文科省の再編方針との関連性とは?
筑波大学の動きは、国策との整合性のもとに推進されている。中教審の答申では、大学の再編・統合・撤退を「国が支援する」必要性が記されており、文科省は今後、他の国立大学にも同様の変革を促す姿勢を強めていくとみられる。
このように、筑波大学は「国立大再編モデル校」としての立ち位置を帯びつつあるが、その一方で、現場教員との温度差や運営体制の不透明さが際立っている。
教員の反応は「教育の質の低下」だけにとどまらない。特に懸念されているのが、大学運営における意思決定のプロセスだ。教育現場の声が十分に反映されないまま、方針が上から通達される構造は、今後の運営における信頼性を大きく揺るがすものだ。
また、再編後の「人文学専門学群」のビジョンについても、その実態が見えにくい。教員らは「言葉としての再編にとどまり、実際の教育改革が伴わなければ、学生への影響は避けられない」と口を揃える。
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教員による意思決定プロセスの不在
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新学群の理念と現場の乖離
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学生教育への直接的な影響
観点 | 筑波大学の再編方針 | 教員側の懸念 |
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再編の目的 | 学際化・効率化 | 専門性の喪失 |
プロセス | 上層部による報告型決定 | 教員との協議なし |
教育への影響 | 総合人文学の創出 | 対話型授業の困難化 |
統合後の教育現場で何が起きるのか?
筑波大学が打ち出した「人文学専門学群」の設立構想は、「教養知と専門知の融合」を掲げるものだが、現場の教育環境ではその理念がどのように具現化されるのかは未知数である。
たとえば、これまでの人文学類ではゼミ形式や演習科目を中心に学生との密な対話を重視していた。しかし、統合後は1学年200人規模の大人数クラスが中心になる可能性もあり、個別指導が困難になる懸念がある。
また、学生側にとっても「自分がどの分野を学んでいるのか」が見えづらくなるとの声もある。特定分野への専門性がぼやけ、履修計画が立てにくくなることで、学習意欲の低下も招きかねない。
現場からの提案と小さな対抗軸
そうした中で、教員側からはいくつかの代替案や緩やかな改革の提案も出ている。たとえば、「緩やかな再編」にとどめ、各学類のアイデンティティを維持したまま一部の共通科目を設置する案や、教員の異動・交流による学際化の推進などだ。
あるベテラン教員は、「専門の連携と学際性は、統合という形式よりも、実質的な教育の内容で実現すべきだ」と語る。
また、学生による学類横断の自主ゼミや、旧学類の特色を伝承する取り組みも水面下で模索されており、大学内には「沈黙の抵抗」が存在していることも事実である。
他大学での前例とその成否
東京外国語大学や京都大学では、学部再編により「地域文化学部」や「総合人間学部」などが設立された経緯がある。しかし、これらの学部でも「総合性」がかえって専門性を曖昧にしたという指摘があった。筑波大学にとっても、同様の課題に直面する可能性は高い。
🔄再編プロセスと影響構造図
見出し | 要点 |
---|---|
再編後の授業 | 大規模講義化によりゼミが困難に |
学生の声 | 専門性の見失いや学びへの不安が浮上 |
教員の提案 | 緩やかな改組・学際交流による対抗策 |
他大学の事例 | 総合化に伴う専門性の希薄化が課題に |
この記事では大学関係者や教育現場の視点を中心に据えているが、一方で、文科省や中教審の立場に立てば、「国立大学全体の持続性をいかに確保するか」が大命題である。再編は個別大学の問題ではなく、国策的な縮小均衡の一部でもある。視点を変えると、「人文学の未来を残すための防衛策」という見方も成立する。
統合によって失われる“人文学”の本質とは?
人文学が本来的に重視するのは、時間をかけた問い直しと、多様な文脈のなかで人間や文化を読み解く姿勢である。その本質が、効率や成果で測られる制度設計の中で希薄化してしまうのではないかという危惧が、根強く存在している。
特に、「何の役に立つのか」と問われるたびに、人文学の価値を言語化する難しさに直面してきた教員たちにとって、今回の再編は“沈黙を迫られる構造”そのものにも映る。
📝言葉のための学問が、言葉を奪われつつある。
効率化という言葉は、社会の正義のように響く。だが、それが人文学の世界に踏み込むとき、何かが決定的に損なわれる――「問うこと」の自由が、制度によって輪郭を失うのだ。
ぼくたちは、目に見える成果や役立つ知識を求めすぎていないか?
学生たちに必要なのは、役に立つことより「意味を問い続ける力」なのではないか?
言葉が磨かれなくなれば、社会もまた鈍化する。静かに、それでも確実に。
その兆候が、筑波大学の構内にも漂いはじめている。
❓FAQ
Q1. なぜ筑波大学は統合に踏み切るのですか?
A1. 少子化による志願者減少と、中教審による「大学の適正規模化」政策を受けたためです。
Q2. 教員は再編に反対しているのですか?
A2. すべてではありませんが、多くの教員が「拙速」「教育の質の低下」を懸念しています。
Q3. 統合によって学生の学びはどう変わる?
A3. 大講義化や専門ゼミの縮小で、個別性のある学びが得にくくなる可能性があります。
Q4. 他大学でも同様の再編は行われていますか?
A4. はい。京都大学や東京外国語大学などでも、学際化を名目とした再編が行われています。