「99%大丈夫」と言われた――その言葉を信じた夫婦が直面した現実。出生前診断の限界と医療側の説明責任を問う訴訟で、司法が示した判断とは。誰もが他人事ではいられない、命と情報、そして信頼をめぐる静かな衝突を追う。
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出生前診断で「異常なし」と告げられたにもかかわらず、生まれてきた子どもがダウン症だった――。大阪市の病院で受診していた30代のオーストラリア人夫婦が、「医師の説明が不十分だった」として訴訟を提起した。診断方法の誤解、医師との言語ギャップ、そして“口頭のやり取り”しか残されていなかった検査現場。この事件が突きつけたのは、出生前診断における説明責任と選択の重みだった。
出生前診断で「説明がなかった」ことは過失なのか?
出生前診断をめぐる今回の訴訟は、医師がどこまで検査の目的や限界を説明する責任を負うのかという問題を投げかけた。オーストラリア出身の夫婦は、大阪市内の病院で胎児の異常を心配していたが、医師の説明と自身の理解に大きなギャップがあったと感じていた。診断時の週数や検査方法の選定が、結果的にダウン症のリスクを把握する機会を奪ったと主張する。
裁判では、夫婦が「genetic test(遺伝学的検査)」を求めたかどうかが争点となった。夫婦側は英語で明確に要望したと述べ、病院側がそれに応えず、羊水検査などの選択肢についても説明しなかったと主張した。だが、病院側はそのような要望は聞いておらず、検査内容の説明も適切に行っていたと反論している。
地裁判決は病院側の主張を全面的に認めた。夫婦の訴えは「証拠が不十分」であると退けられ、医師らの証言について「信用性を否定する事情はない」と判断。インフォームドコンセント(説明と同意)は適切だったという結論に至った。
検査の限界とタイミングの問題
出生前診断には、通常の超音波検査のほか、11〜13週に行う精密超音波検査や、新型出生前診断(NIPT)など複数の手法がある。だが今回、問題となった検査は妊娠17週で行われた超音波検査だった。この時期には、すでに染色体異常を判断するための精密検査としての有効性が低くなっており、主に外見的な異常を確認するためのものとなる。
NIPTや羊水検査との違い
ダウン症などの染色体異常の確定には、NIPTや羊水検査が有効とされている。NIPTは妊婦の血液から胎児の遺伝情報を調べるもので、非侵襲的で流産リスクがない。一方、羊水検査は確定診断が可能だが、流産のリスクを伴う。夫婦がこの選択肢について十分な説明を受けていなかったことが、争点となった。
説明不足による“選択の喪失”
夫婦は「出生前に知っていれば、心の準備ができた」「ダウン症の有無を調べたいという意志は明確だった」と訴える。だが、医師は「染色体異常への不安を初めて知ったのは検査時」と証言し、双方の認識はすれ違ったまま平行線をたどった。
出生前診断の選択は、家族の将来に直結する大きな判断を伴う。だからこそ、患者にとっては「どの検査がどんな意味を持ち、どんな限界があるのか」を正確に知ることが重要だ。
特に外国人など、文化的・言語的背景が異なる患者に対しては、より丁寧で明確な説明が必要となる。「医療者が伝えたつもり」では足りない。患者が「理解し、納得したかどうか」が問われる時代に来ている。
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説明のタイミングが妥当だったか?
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検査の限界は伝えられていたか?
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医師と患者の言語的ギャップは埋まっていたか?
なぜ「伝えたつもり」が訴訟につながったのか?
今回の訴訟で浮き彫りになったのは、「医師は説明したつもり」「患者は理解していなかった」という“医療現場のズレ”だ。とくに外国人患者とのコミュニケーションでは、言葉の壁が診療の質に大きな影響を与える。
この夫婦はオーストラリア出身で、診療時も日本語ではなく英語で医師とやり取りしていたと主張している。一方で病院側は「医師は日本語で説明し、通訳も同行していた」としており、双方の主張は真っ向から対立した。だが裁判所は、通訳者の存在と医師の説明記録を重視し、「説明は行われた」と判断した。
このような事例は、医療現場が“形式的な説明”だけで済ませてしまった場合に、後から「本当に伝わっていたのか」が争点になる。とくに出生前診断のような繊細な判断を要する領域では、単なるインフォームドコンセントではなく、実質的な相互理解が求められる。
医療者の説明義務はどこまで求められるのか?
法律上、医師には「診療契約上の説明義務」があるとされる。ただし、その範囲は検査の性質・緊急度・患者の理解力・社会通念などを踏まえ、個別に判断される。
今回のように「出生前診断の一環で行われた超音波検査」が対象であった場合、その検査単独の説明で足りるのか、それともNIPTや羊水検査など“より正確な検査”についても説明すべきだったのか、という点が論点になる。
説明義務の範囲とリスク告知の限界
医師がすべての可能性ある検査や選択肢を網羅的に提示するのは現実的ではない。しかし、患者が「特定の情報を必要としていたか否か」によって、義務の範囲が変わってくる。つまり、夫婦が「NIPTや羊水検査を求めていた」と証明できていれば、裁判所の判断は変わった可能性がある。
この事件が示したのは、言語だけではなく“前提の共有”が診療において極めて重要であるということだ。検査項目・意義・限界について、医師と患者の「想定」が一致していなければ、結果的に深刻な誤解を生む。
医療現場で説明書やパンフレットの配布が進められているのは、その“誤解の火種”を未然に防ぐためでもある。だが、形式だけの書面説明では限界がある。むしろ、対話を通じた合意形成こそが、真の意味での「説明」と言える。
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外国人対応マニュアルの整備
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多言語パンフレットの活用
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書面+口頭のダブル説明体制
これらが「説明したつもり」のリスクを減らす手段になるだろう。
【説明義務の過程と訴訟リスクの構造図】
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患者が検査を希望(NIPT or 羊水検査)
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医師が説明(言語・形式・内容の違い)
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受診者が理解したか?(通訳・理解度・確認)
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出生後、予想外の結果が発覚
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患者側が「説明がなかった」と主張
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医師が「説明済み」と反論
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裁判所の判断:説明の有無/証拠/記録
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過失認定 or 棄却(今回は棄却)
見出し | 要点 |
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夫婦の主張 | 「検査内容を理解していなかった」 |
病院の主張 | 「適切に説明し、通訳も同席していた」 |
裁判所の判断 | 病院側の証言・記録を採用し、夫婦側敗訴 |
課題の本質 | 医療と患者の“前提のズレ”が引き起こす誤解 |
この訴訟は単なる「説明の有無」の問題ではなく、医療と患者の間にある“認識の断絶”を象徴している。患者が何を求めていたか、医師がどこまでそれを汲み取ったか――その相互理解の欠如がもたらす結果は、時に訴訟という形で噴出する。
今後、日本においても外国人患者が増える中で、「通訳をつけたからOK」ではなく、「前提を共有できたか」が、診療の質を左右する重要な基準になるだろう。
この訴訟が突きつけた「選択の重み」とは?
「説明されたこと」と「理解できたこと」のあいだで
「異常はありません」――医師が告げたその一言に、夫婦はどれだけ安堵しただろうか。だが、その言葉は“絶対的な保証”ではなかった。医療とは、常に不確実さを孕んでいる。だからこそ、患者にとっては“説明された内容”よりも、“どこまで納得できたか”が重要になる。
今回の訴訟は、説明の形式ではなく、その「受け取り方」に焦点が当たった。医師は説明したという。患者は理解していなかったという。両者が誠実であればあるほど、誤解は深くなる。そこに「嘘」はなかったかもしれない。ただ「ズレ」があったのだ。
私たちは、「説明される側」であると同時に、「選択する責任」を背負っている。出生前診断の結果がどうあれ、その選択の過程に「納得」がなければ、後悔だけが残る。だから問いたい――本当に必要なのは、診断結果なのか。それとも、納得のいく“対話”だったのか。
【FAQ:出生前診断と訴訟に関するよくある質問】
Q1. 出生前診断とはどのような検査ですか?
A. 胎児の染色体異常や遺伝的疾患のリスクを検出する検査で、非確定的なスクリーニング検査(超音波検査や母体血清マーカー検査、NIPTなど)と、確定的な検査(羊水検査、絨毛検査など)があります。
Q2. 今回の夫婦はどの検査を受けていたのですか?
A. 超音波検査を中心とした出生前診断で、ダウン症の特徴が見られなかったとされます。ただし、NIPTや確定的な遺伝子検査は行われていなかった可能性が高いです。
Q3. 医師の「99%大丈夫」という説明は問題ではないのですか?
A. 医師側は否定しており、裁判ではその発言があったという証拠は認められませんでした。医学的にも「99%正確」は誤解を招く表現とされ、ガイドライン上も推奨されません。
Q4. 今回の訴訟で夫婦側の主張は認められたのですか?
A. 裁判所は「説明義務違反や過失はなかった」として、病院側の責任を認めず、夫婦側の請求を棄却しました。