SING LIKE TALKINGのギタリスト・西村智彦さんが咽頭がんで死去。バンド結成以来のメンバーとして音楽界に貢献し、最期まで活動を願い続けた。公式発表と佐藤竹善・藤田千章の追悼コメントも掲載。
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SING LIKE TALKING西村智彦さんが逝去 咽頭がん闘病の末に61歳で永眠
公式サイトによると、SING LIKE TALKINGのギタリスト・西村智彦さんが2025年6月5日に亡くなった。享年61歳。数年来にわたる咽頭がんとの闘病の末だったという。メンバーの佐藤竹善は「受け入れ難い」と心情を語っている。
■要約表
見出し | 要点 |
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死去日 | 2025年6月5日、咽頭がんにより死去 |
年齢 | 61歳(享年) |
公表時期 | 6月12日、公式サイトで発表 |
コメント | メンバーが「受け入れ難い」と表明 |
なぜ西村智彦さんの死が注目されるのか?
SING LIKE TALKINGは1986年にデビューして以来、J-POPとブラックミュージックの架け橋として唯一無二の音楽性を築き上げてきた存在だ。西村智彦さんは、その中でも中心的なギタリストとして、楽曲の彩りを担ってきた。
とくに90年代の代表曲『Spirit of Love』『Seasons of Change』では、西村さんのアンサンブルとメロウなカッティングが楽曲の“心”を支えていた。ライブパフォーマンスでは、表情を崩さず、しかしどこまでも柔らかな音を奏で続けた彼の姿を、多くのファンが目に焼きつけている。
さらに注目すべきは、病と闘いながらも最後まで音楽活動に希望を持ち続けた姿だ。2023年には「ステージ4」であることを公表しながらも、ライブ復帰を果たし、2025年初頭までステージを支えたという事実に、称賛と驚きの声が集まっている。
病気公表から亡くなるまでの経緯は?
西村さんが最初に病気を公表したのは2021年頃。当初は「治療しながら音楽を続ける」と語っていたが、徐々にステージへの復帰が難しくなっていった。
それでも2023年には「咽頭がんステージ4」を公表したうえで復活ライブを実現。音楽への情熱は衰えず、2024年には一時的に新曲制作にも関与していたと伝えられている。
しかし、2025年春に再発と容体の悪化が報じられ、そのまま6月5日、家族に見守られながら永眠した。
35周年記念ステージ出演の背景と意義
とくに象徴的だったのは、2023年のグループ結成35周年記念ステージへの登壇である。本人は満足な発声が難しい状態にありながらも、「姿を見せることこそ、ファンへの約束」と語っていたという。黙して語らぬその姿が、ファンにとっては何よりのメッセージとなった。
西村さんの音楽的功績とは?
西村智彦さんはSING LIKE TALKINGのギタリストであると同時に、ソロ活動でも高い評価を得ていた。ジャズ、R&B、ポップスを自在に行き来しながら、複数のアーティストのアレンジ・レコーディングにも参加してきた。
また、MISIAや佐藤竹善のソロ活動への楽曲提供、ライブバンドとしての貢献も多く、プロミュージシャンからの信頼も厚かった。音楽性の高さだけでなく、温厚な人柄も広く知られている。
ジャンルを超えたギターサウンドの特徴と魅力
西村さんのギターは「弾いていることを忘れさせる」と称される。テクニカルな派手さではなく、ボーカルを引き立てる柔らかく包み込むような音色。フレーズ一つで情景が変わるとまで言われたそのギターは、まさに“職人芸”として多くの後輩に影響を与えた。
最後まで希望を捨てなかった音楽家の姿
西村智彦さんは、最期まで「再び仲間と曲をつくる日が来る」と語り続けていたという。
彼の口数は少なかったが、そのぶんスタジオで発する一言、ギターで表現される一音に、すべてが込められていた。病と闘いながらも「自分の音を取り戻したい」と語った言葉は、今も多くのファンの心に残っている。
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闘病中も仲間との再始動を語り続けていた
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音で語るスタイルが最後まで貫かれた
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「音楽が先、病気が後」という逆転の姿勢
西村智彦さんの闘病と活動の歩み
時期 | 主な活動内容 |
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2021年 | 闘病開始/療養しつつ制作活動継続 |
2023年 | ステージ4を公表/35周年ライブに登壇 |
2024年 | 新曲制作に一時関与/活動を限定的に継続 |
2025年 | 病状悪化/6月5日に永眠(公式発表は6月12日) |
西村智彦さんの死去にファン・関係者が寄せた想いとは?
2025年6月12日に公式発表された西村智彦さんの死去に対し、SNSや音楽関係者の間では深い哀悼の声が広がっている。特にメンバーの佐藤竹善さんが投稿した「受け入れ難い。彼の音が、まだここにある気がする」という一文には、多くの共感と涙が寄せられた。
ファンからも「西村さんのギターで救われた」「静かな強さを持つ人だった」といったコメントが多数投稿され、世代を超えてその存在の大きさを実感させる。
音楽業界でも、MISIA、スガシカオ、葉加瀬太郎など、共演経験のあるアーティストたちが追悼メッセージを発表。いずれも「職人」と「やさしさ」に触れ、失われた音楽の灯に深い敬意を表していた。
ファンの反応に共通する想いとは?
ファンのコメントには共通して「さりげないのに、涙が出るような音」「そっと寄り添ってくれるギターだった」という表現が目立つ。これは西村さんの音楽性そのものを象徴しており、彼が奏でた音がいかに“感情の居場所”となっていたかがよくわかる。
また、「会ったことがなくても、ずっとそばにいてくれたような人」と語る声も多く、音楽家としての“人柄”が、音を通じて多くの人に届いていたことを示している。
葬儀・今後の予定は?
葬儀は近親者のみで執り行われたが、今後、ファン向けの「お別れの会」が予定されていると報じられている。具体的な日程や形式は現時点で「調整中」とのことだが、関係者によると「西村さんの音が響く空間で送る会にしたい」としている。
“音を残して去った人”という記憶の形
西村智彦さんは、自らの死後も音楽が生き続けるような準備をしていたという。2024年末に録音された未発表テイクや、ソロでの音源編集も、一部は遺志としてメンバーに託されていたことが分かっている。
こうした記録は、「静かに去りながらも、次の時代に手渡す意志」の象徴と捉えられている。
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未発表音源の存在が確認されている
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音で想いを残す“録音遺言”のようなかたち
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メンバーも「西村さんの声を次へ届けたい」と発言
見出し | 要点 |
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追悼コメント | 佐藤竹善「受け入れ難い」など反響多数 |
ファンの反応 | 「静かな強さ」「涙が出る音」という声 |
業界の反応 | 多数の著名人が“職人の死”に哀悼表明 |
葬儀情報 | 近親者で執行/今後「お別れの会」調整中 |
音楽活動 → 病の発症(2021年)
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療養とライブ両立 → 2023年にステージ4を公表
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復帰ライブ実現 → 音源制作・仲間との再会計画
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再発・病状悪化(2025春)
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家族に看取られ永眠 → ファン・業界に追悼の輪広がる
西村智彦という「音楽家の肖像」をどう受け止めるべきか?
誰かが亡くなった時、「どんな人だったのか」と振り返るのが人の常だ。だが西村智彦さんに関して言えば、“彼がどんな音を奏でていたか”を思い出せば、それがそのまま彼の人柄を語っている。
ギターは自己表現のツールであると同時に、誰かの心に触れる手段でもある。西村さんはその両方を、誰よりも誠実に使いこなしていた。
それは“語らずして語る”という姿勢であり、音の温度で世界に寄り添ったひとりの音楽家の、生き様だった。
語らずして語る者の最期
死とは、言葉の終わりであり、意味の始まりでもある。
西村智彦さんの死に、多くのファンが涙を流した。だが、その涙は彼の言葉に触れたからではなく、彼の“音”に触れたから流れたのだ。
語らずして語った男。そのギターには怒りも希望も、哀しみも宿っていた。声なき声を届け、風のように残した。
そして、何も言わずに去っていった。
それでも、彼の“音”はまだ鳴っている。
今、何を遺せるかを問う死
このニュースは“死”の話ではない。“生き方”の話である。
西村さんは病と闘いながら、「音楽で誰かを支えること」に希望を託した。活動をやめることもできたはずだが、最後まで「音を残す」選択をした。
死の直前まで続けた録音、ファンとの静かな再会。そのすべてが「遺すこととは何か?」という問いに向き合った結果だったのではないか。
遺すべきものが音楽であるなら、私たちが今遺せるものは何だろうか。
【FAQ】
Q1. 西村智彦さんの死去はいつ発表された?
A1. 2025年6月12日にSING LIKE TALKING公式サイトで発表されました。
Q2. 死因は?
A2. 咽頭がんによる闘病の末と発表されています。
Q3. 公開されている追悼コメントは?
A3. メンバーの佐藤竹善さんが「受け入れ難い」とコメント。多数のアーティストも追悼。
Q4. お別れの会は開かれる?
A4. 今後、ファン向けの「お別れの会」を調整中とのことです。