「小さいころから殺したかった」――そう語った男の部屋には、頭蓋骨が飾られていた。7年前に失踪した宮本果歩さんの遺骨と判明し、殺人事件として立件へ。SNSでの接触から殺害、遺体の切断、飾り棚への保存まで…犯人の供述は異常性と計画性を帯びていた。“普通の青年”とされた斎藤容疑者に、何が隠れていたのか?
飾り棚に頭蓋骨
消えた7年の真実
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飾り棚の中に並べられた頭蓋骨。そのひとつが、7年前から行方不明だった女性のものと判明した。
日常と異常が、紙一重の境界で共存していた場所。
犯人は「小さいころから殺人願望があった」と語るが、それは真実なのだろうか――。
この事件が私たちに突きつけるのは、“気づけなかった社会”の姿でもある。
セクション | 要点 |
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✅ 概要 | 頭蓋骨が飾られた自宅で発覚した殺人事件 |
▶ 容疑者供述 | 「殺人願望があった」「同意のうえで殺した」 |
▶ 被害者情報 | 7年前に失踪した宮本果歩さん(当時21) |
✅ 発覚経緯 | 別事件による家宅捜索で頭蓋骨が見つかる |
▶ 社会的反応 | 「普通の青年だった」という周囲の証言 |
なぜ“殺人願望”は実行に至ったのか?
幼少期の供述はどこまで本気だった?
あなたも、こんな疑問を持ったことはありませんか?
「小さいころから殺人願望があった」という供述は、どこまで信じてよいのか――。
供述の表面だけをなぞるなら、まるで“生まれながらの殺人者”のように響くかもしれません。
しかし、実際には幼少期の願望が現実の行動に転化するには、数々の心理的・社会的な要因が重なる必要があります。
斎藤容疑者の家庭は「仲の良い両親と兄弟」という構成で、近隣の証言でも“穏やかな家庭”だったとされます。
つまり、外的なトラウマの記録は現時点では乏しい。
ではなぜ、彼は「人を殺したい」という思考を手放さなかったのでしょうか?
それは、内面世界に潜む“関係性の拒絶”や“支配への欲望”といった心理構造に起因する可能性があります。
日常の延長線上に“死”を置いたとすれば、それは恐怖ではなく、興味として扱われたのかもしれません。
SNSで何が行われていたのか?
事件の発端となったのは、SNSを介した接点です。
容疑者と被害者・宮本果歩さんが接触したのは2017年の年末ごろ。
複数回にわたってメッセージをやり取りし、最終的に自宅に呼び出す計画へとつながっていきました。
注目すべきは、やり取りの中で斎藤容疑者が「SIMカードを抜かせる」「遺書を書かせる」などの行動を指示していた点です。
単なる突発的犯行ではなく、“行動の設計図”が裏で描かれていたことがうかがえます。
ここで問題となるのが、「同意のうえで殺した」という供述です。
被害者に精神的な同意があったとしても、それが“殺害の正当化”になるはずがありません。
法的・倫理的観点からも、被害者の自由意思がどこまで保たれていたかは極めて疑わしい。
SIM抜去・位置情報遮断などの工作
事件当日、斎藤容疑者は細かな指示を出していたとされています。
これらは明確な“計画性”の裏付けです。
犯罪において重要とされる「未必の故意」や「準備行為」の要素を十分に含んでいます。
被害者の行動履歴は、大宮駅で途絶えています。
土浦から電車に乗った後の足取りを遮断するための巧妙な仕組みが、そこにはあったのです。
供述と事実、何が一致しているのか?
項目 | 容疑者の供述 | 実際の判明事実 |
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願望の有無 | 幼少期から殺人願望 | 供述のみ。医学的根拠なし |
被害者の同意 | 「合意の上で殺害」 | 証拠なし/遺書の存在未確認 |
遺体の処理 | 切断し一部を飾り棚に | DNA鑑定で事実と一致 |
接点 | SNSで知り合った | メッセージ記録あり |
計画性 | SIM抜去・アプリ削除 | 実行事実が証拠で確認済み |
遺書と“同意”供述をどう捉えるべきか
あなたは「同意されていたなら、罪が軽くなるのでは?」と思ったことはありませんか?
この事件において、最大の論点のひとつが「合意性の演出」です。
斎藤容疑者は、殺害に先立って被害者に“遺書”を書かせたと供述しています。
その意図は、明らかに責任回避と罪の軽減を狙ったものでしょう。
遺書の内容や存在はまだ公表されていません。
仮に存在していたとしても、それが被害者の自由意志によるものかどうかの検証は極めて困難です。
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精神的に追い詰められていた可能性は?
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書くよう“誘導”された内容ではなかったか?
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被害者の行動に異変がなかったか?
これらの点は、今後の捜査と裁判で明らかにされるべき核心部分です。
なぜ社会はこの異常を見逃したのか?
近隣住民は“普通の青年”と見ていた
あなたは隣に住む人の「内面」まで知っていますか?
事件の舞台となったのは、さいたま市大宮区にある一見ごく普通のマンションでした。
容疑者の斎藤純は、両親と同居し、近隣からも「いい子」「あいさつもできる」と認識されていたといいます。
「信じられない」と語る声は、嘘ではないのでしょう。
それは、彼が日常において“異常性を完璧に隠す力”を持っていたことの証です。
加害者が“社会とつながっていたように見えた”ことこそ、この事件の難しさを際立たせています。
異常が異常として見えない――それは、社会が持つ“目の限界”でもあるのです。
発覚のきっかけは偶然の窃盗事件
事件は、別件の“スマホ窃盗”という意外な端緒から露見しました。
昨年8月、斎藤容疑者は市内の別の女性のスマホを盗んだ容疑で捜査対象となり、今年5月に逮捕。
その自宅を家宅捜索する中で、例の飾り棚が発見されたのです。
3つの頭蓋骨――
1つは木製の模型、1つはネットで購入したとされる成人女性の頭部骨、そして最後の1つがDNA鑑定で特定された宮本果歩さんの頭蓋骨。
本件の恐ろしさは、**“犯行そのもの”ではなく“発覚しなかった7年”**にあります。
もし別件がなければ、この事件はさらに数年、あるいは永遠に発覚しなかった可能性すらあるのです。
飾り棚にあった“3つの頭蓋骨”
発見された飾り棚は、ガラスケースつきの家具で、まるで“陳列”のように骨が並べられていました。
これはただの遺体遺棄ではありません。
斎藤容疑者の“所有欲”や“征服感”が現れた心理的演出とも言えるでしょう。
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遺体の一部を「観賞用」に残した意図
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模型と本物を並べていたことの意味
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殺害行為が“終点”ではなく“収集”だった可能性
「人を殺したかった」というより、「人を自分のものにしたかった」。
その欲望のありかは、遺体の“保存”という異常な行動に濃密ににじんでいます。
“普通”の顔に隠れた異常とは?
あなたは今、“誰のこと”を考えているでしょうか?
この事件が伝えるのは、誰もが“加害者になり得る”という警鐘ではありません。
むしろ、“異常性は隠すことができてしまう”という事実です。
見た目も言葉も振る舞いも、“ごく普通”だった斎藤容疑者。
だからこそ、誰も彼の中に“異常”を見出せなかった。
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犯行前に異常な行動はなかったか?
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家族や職場での接点は乏しくなかったか?
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精神鑑定は適切な時期に行われたか?
私たちが見落とすのは“変化”ではなく、“変化しないように見える異常”なのかもしれません。
【犯行発覚までの流れ】
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2017年末:SNSで宮本さんと知り合う
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2018年1月4日:SIM抜去・遺書・殺害・遺体解体
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遺体の一部を飾り棚に保管/他は遺棄
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2024年8月:別女性のスマホ窃盗事件が発生
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2025年5月:家宅捜索で頭蓋骨発見
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2025年6月:DNA鑑定で宮本果歩さんと判明・殺人容疑で再逮捕
項目 | 要点 |
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▶ 斎藤の“表の顔” | 近隣は「普通の青年」と認識していた |
✅ 発覚の偶然性 | スマホ窃盗がなければ事件は続いていた可能性 |
▶ 飾り棚の意味 | 骨を“並べていた”という異常行動 |
✅ 社会の盲点 | 見えているのに“気づかない”危うさ |
あの日、テレビに映っていた彼の顔は――、どこにでもいる若者と変わらなかった。
ニュースを見ながら「まさかあの子が」と誰もが言った。
それは、誰も“想像しなかった”のではなく、“見ようとしなかった”のかもしれない。
飾り棚のガラスは、彼の世界と私たちの世界を隔てていたのか。
だとすれば、何がその境界を“透明”にしていたのだろう?
私たちは、誰を見落としていたのだろうか?
それは、なぜ語られなかったのか
本当に語られるべきは、犯人の“動機”ではない。
語られるべきは、“沈黙”のほうだ。
遺体が飾られ、時間が経ち、それでも社会が何も知らなかったこの構造。
倫理は、行為の中にあるのではなく、“知ろうとする態度”の中にあるのかもしれない。
正義とは、裁くことではない。“見ようとすること”ではないだろうか?
❓FAQ
Q1. 遺書は本当に存在するの?
→ 存在の有無は未公表。ただし、容疑者の供述には含まれており、警察が確認中です。
Q2. 合意があった場合、罪は軽くなる?
→ たとえ同意があっても殺人罪は成立します。法的には正当化できません。
Q3. 他にも被害者がいる可能性は?
→ 現在のところ明言されていませんが、他の頭蓋骨についても引き続き捜査中です。