新日本プロレスを退団した内藤哲也氏が、東京・江東区のたこ焼き店「たこQ」に突如就職。SNS拡散で400人超のファンが殺到し、混乱が発生した。店主は即日で「プロレスに戻るべき」と“解雇”を通告し、話題となった。本業復帰の兆しは、意外な現場から始まっていた。
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5月に新日本プロレスを退団した内藤哲也氏が、突如東京・江東区のたこ焼き店「たこQ」で働き始めた。ファンが殺到し、店舗は一時混乱状態に。結果的に“即日解雇”されることになったが、その背景には思いもよらぬ店主の言葉と、本業復帰を促す空気があった。
要約表
項目 | 内容 |
---|---|
事件の概要 | プロレスラー・内藤哲也がたこ焼き店「たこQ」に1日就職し、即日解雇された |
注目の理由 | 店に400人超のファンが押し寄せ、店主が「本業に戻れ」と告げた経緯が反響を呼んだ |
なぜ“たこQ”で働いたのか?
内藤哲也氏が“就職先”に選んだのは、以前から常連として通っていたたこ焼き屋「たこQ」だった。履歴書にはプロレスユニット「LOS INGOBERNABLES de JAPON(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)」の一員であることを示すかのように「JAPON」と記載。職歴欄には「新日本プロレス」と正直に書かれていたという。
店主とは長年の顔なじみ。もともと週に何度も通うほどで、「いずれこの店で働きたい」と冗談交じりに話していた姿も見られていた。店主も“冗談だと思っていた”が、ある日突然、本気で履歴書を持って現れたことで、にわかに現実味を帯びた。
働き始めた日は6月中旬。SNSで「たこQ出勤中」と投稿されると、瞬く間に情報が拡散され、静かな店に異変が起きはじめる。
「JAPON」──その一語が内藤哲也のすべてを語っていた。店主に履歴書を差し出したその瞬間、笑いと驚きが交錯した。普段はプロレスという舞台で観客を魅了していた男が、たこ焼きを焼くカウンターに立つ。場違いのようで、どこか馴染んでいた。
「まさか、ほんとに来るとはな」
店主のその言葉には、戸惑いと少しの誇らしさが滲んでいた。
プロレスとたこ焼き屋、それぞれの“役割”
出勤直後に起きた異変とは?
客の行列と予想外の混乱
SNS投稿のわずか数時間後、「たこQ」にはおよそ400人以上のファンが押し寄せた。ふだんは地元の常連客で静かな店だったが、店外には行列ができ、近隣からは通報の声もあがる騒ぎに。周囲の交通にも影響が出始め、店主は対応に追われた。
「サインください」「写真いいですか」と声をかけられ続けた内藤氏は、たこ焼き作りよりも記念撮影に応じる時間の方が長くなっていた。厨房も接客も回らず、現場の負担は増すばかりだった。
非情通告と“励ましの言葉”
その日の終業後、店主から「明日から来なくていい」と伝えられた。まさかの“即日解雇”。しかしそこに怒気はなかった。
「お前はここにいるべきじゃない。プロレスのリングに戻るべきだ」
“解雇”というより“励まし”に近い言葉だった。店主は、あふれ返る客に驚きながらも、その存在感を冷静に見ていたという。「うちのたこ焼きより、あんたを見に来てるんだよ」とつぶやいた。
混乱の終わりに、静かに伝えられた“通告”。
店主のまなざしは優しく、しかし揺るがなかった。
「ここじゃない」
そのひと言に、笑いと未練と未来が詰まっていた。
たこ焼き屋のユニフォームを脱いだ内藤氏は、黙って深く頭を下げた。
たこ焼き屋就職から再出発までの流れ
内藤哲也が退団 → 履歴書提出 → たこQで就職 → SNSで拡散 → 客が殺到
↓
混乱拡大 → 店主が状況判断 → 即日解雇
↓
「プロレスに戻れ」と告げられる → 本人も納得 → 再出発の兆しへ
たこ焼きを焼く姿は新鮮だった。
だが“そこ”は、本人の居場所ではなかった。
混乱の最中に立っていたのは、リング上のカリスマだった。
プロレスラーの居場所とは何か
社会は、役割を突きつける。
それは、本人の希望や自由とは別にやってくる。
人気とは暴力的だ。
それが場所を変えた瞬間、ただの“迷惑”になる。
だが、群衆が彼に求めたものは、たこ焼きでも笑顔でもなく、リングの内藤哲也だった。
「ここじゃない」と告げられたその言葉が、
彼にとって“再出発”の始まりになるとは、誰も想像していなかった。
FAQ
Q:内藤哲也がたこ焼き店で働いたのはいつですか?
A:2025年6月中旬に、東京・江東区のたこ焼き屋「たこQ」で1日だけ勤務しました。
Q:なぜ1日で解雇されたのですか?
A:SNSの拡散で客が殺到し、混乱が生じたため、店主が本業復帰を促す形で終了となりました。
Q:「たこQ」との関係はもともとあったのですか?
A:以前からの常連客であり、店主とは顔なじみだったとされています。