NHK朝ドラ『あんぱん』で戦地に赴く岩男を演じた濱尾ノリタカが、役作りのため10キロ減量し、水すら断った過程を語る。もともと脚本には存在しなかった岩男という役がどのように誕生し、なぜ視聴者の記憶に残ったのか。戦後80年の節目に異例の戦争描写が組み込まれた理由もあわせて検証する。
朝ドラ異例戦地描写
濱尾ノリタカ
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NHK連続テレビ小説「あんぱん」が戦争編へと突入し、再登場した田川岩男という人物が視聴者の記憶に残り始めている。演じた濱尾ノリタカは、食事と水を断ち、体重を10キロ落とすという極限の役作りを選んだ。その背景には、戦争の理不尽と向き合う誠実な姿勢があった。
✅ 要約表
✅ 見出し | 要点(1文) |
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なぜ濱尾ノリタカの役作りが注目されたのか? | 食事も水も断つ演技で視聴者の関心が集まった |
撮影で「水を断った」背景とは? | 戦地での飢餓表現のため10キロ減量したと証言 |
役作りと演技への意識に何があったのか? | 「分からないからこそ考える」という姿勢を貫いた |
なぜ濱尾ノリタカの役作りが注目されたのか?
2025年6月、NHKの朝ドラ「あんぱん」戦争編が放送される中、田川岩男というキャラクターが再登場した。これまでコミカルなシーンが多かった岩男が、中国戦線での飢餓と悲劇に直面する展開となり、視聴者の注目を集めた。
岩男を演じた濱尾ノリタカは、当該シーンに向けて「水も断ち、食事も摂らずに」撮影に臨んだと明かしている。役作りの一環で行われたこの減量は最終的に10キロに達し、「嵩と再会した頃は少し痩せた程度だったが、そこからさらに極限まで落とした」と語っている。
SNSでは「#俺たちの岩男」という応援タグも生まれ、その演技の真剣さが共感を呼んでいた。過剰とも思える方法だが、本人は「熱意と誠意をもってひたすらに向き合っていた」と語るなど、体当たりの演技に迷いはなかった。
撮影で「水を断った」背景とは?
濱尾ノリタカは、岩男の戦地での姿を演じるにあたり、極限の表現に挑んだ。特に、撮影前2~3日は「食事を摂らず、水も飲まずに臨んだ」という。この時期は劇中で最も痩せている場面であり、「飢餓」を視覚的に伝える必要があった。
彼は「2日前の夜に飲んだのが最後」と語っており、現代の撮影現場としては異例の徹底ぶりだった。事前に段階的な減量も行っており、再登場時の岩男が「やせ始めている状態」から「極限にまで痩せた姿」へと変化していく過程を演技で示していた。
このような身体的な役作りは、朝ドラでは稀な事例であり、「兵士の消耗」を身体ごと伝える試みとして記録に残る存在となっている。
役作りと演技への意識に何があったのか?
減量や断食だけでなく、濱尾の役作りは理詰めに行われていた。戦中の日記や書籍を資料館で読み込み、スマートフォンには大量の台本メモを記録。戦地での「飢餓」は、やなせたかしの世界観とも通じる重大なテーマであり、「アンパンマン」へとつながる問いかけだとも濱尾は捉えていた。
また、作家・朝吹真理子を通じて知った「戦争は、体験していない人間にはわからない」という言葉に衝撃を受けたという。それまでは「理解しようと努めるべき」と考えていたが、「分からないことを自覚し、現代を生きる人間としてひたすら考えることが真摯なのかもしれない」と気づいた。
🔸作家との対話が変えた演技観
朝吹真理子氏から「体験していない戦争を語るのは、分からないまま考え続けることが大切だ」と伝えられたことが、濱尾にとって大きな転機となった。彼は、「わかろうとする姿勢が逆に不誠実になるのでは」と自己認識を修正したという。
これにより、「演じる」とは「わかっているふりをすること」ではなく、「何もわからないまま正面から向き合うこと」と再定義されていった。岩男という人物を通じて、戦争という遠い現実に自分を接続させることに成功したという感触を得ていた。
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「戦争はわかるものではない」という作家の助言が転機に
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「考え続けること」が演技の誠実さと重なった
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現代人としての視点で岩男と戦争に向き合った
要素 | 通常の役作り | 濱尾ノリタカの演技法 |
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減量方法 | 数キロの調整が一般的 | 10キロ以上の断食・断水 |
水分制限 | 通常は管理下で実施 | 撮影前2日間、水も断つ |
資料準備 | 台本中心の読み込み | 資料館・日記・絵本を徹底精読 |
哲学的姿勢 | 「理解し演じる」が一般的 | 「分からないまま考える」を貫いた |
演技観の形成 | 撮影後に調整する例も | 撮影前に自己定義し直した |
役作りはどのように生まれたのか?
なぜ「岩男」は誕生したのか?
濱尾ノリタカが最初にオーディションを受けたのは、嵩の弟・千尋役だった。古着を着こみ、当時の青年像を再現し、意識的にオールバックで臨んだが配役には至らなかった。だが、演出と脚本を担当していた中園ミホは、彼の印象を強く受け、脚本上になかった「田川岩男」というキャラクターを新たに創出したという。
岩男は、初登場時こそガキ大将で、唐突なプロポーズなどコミカルな場面が目立ったが、戦争編では一転して悲劇の担い手となった。制作サイドは「戦争の重み」を伝えるため、こうした変化を意図的に組み込んだとされる。
どのように「岩男」に近づいていったのか?
濱尾自身は、役作りにあたり過去の演技ノートを10冊以上読み返し、原点に立ち返る作業から始めた。「最終的には岩男が勝手に出てくる感覚だった」と語っており、徹底的に思考を重ねて役を「自走」させる方法を選んだ。
演技へのアプローチは知的で理詰めだが、その上で「感情ではなく姿勢で見せる演技」に切り替えていった。戦地でリン少年と交わす視線、無言のうちに表れる体の揺れ、乾いた咳。すべては、台詞では語れない「空腹と喪失感」をどう伝えるかを問い直した結果だった。
✴ 実体験なき戦争をどう演じるか
濱尾は、朝吹真理子が語った「体験していない人にはわからない」という言葉に衝撃を受けたという。以後、戦争を「理解するもの」から「わからないまま考え続けるもの」へと位置づけ直した。
演技は再現ではなく、問いかけだ。どれほど資料を読んでも、どれほど痩せても、かつての兵士にはなれない。それでも、今の時代を生きる役者が、わからないまま悩み、考え、問い続けることで「考える余白」を視聴者に手渡すことができるのかもしれない。
🔁 役作りのプロセス
演技オーディションを受ける
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千尋役は落選
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中園ミホが岩男役を新設
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減量・断食・断水で10キロ減
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資料収集・思考メモ作成
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朝吹真理子の言葉で演技哲学が変化
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岩男として「わからないことを考え続ける」演技へ
✅ 見出し | 要点(1文) |
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H2②|役作りはどのように生まれたのか? | 脚本家が濱尾の印象から岩男という役を創出した |
加筆②|実体験なき戦争をどう演じるか | 「わからなさ」に向き合う姿勢が演技の核となった |
岩男という役は、濱尾自身の“素”がにじみ出る側面を持っていた。どこか不器用でまっすぐで、理屈で突き詰めていく癖がある。だからこそ、役を演じることが自分を振り返る作業と重なっていった。
俳優とは何か、という疑問は、戦争とは何かという疑問に近い。正解があるのではなく、「問うこと自体」が成立させる。岩男は濱尾の中で終わっておらず、今もどこかにいる。そう感じている時点で、この演技は成功していたのかもしれない。
なぜ岩男は視聴者の心に残ったのか?
戦争と笑いの両面を持つ役柄
岩男は、登場当初はコメディ要素の強いキャラクターだった。だが、戦争編では笑いから悲劇へと一転し、「一人の青年が飢えて命を落とす」という象徴的な描写に変わる。このコントラストが、視聴者の記憶に強く残る要因となった。
変化したのは描写だけではない。笑顔だった岩男が、目の奥に「飢えた理不尽」を宿すようになり、セリフがなくとも伝わる情報量を持っていた。その演技の密度は、朝ドラという枠を超えて社会的関心に昇華している。
“誰にでもある物語”としての岩男
濱尾は「大げさかもしれないけれど、大恩人だと思っている」と岩男への思いを語った。自分の内面と正面から向き合う過程を通して、初めて「役が心の中に棲みついた」と実感できたという。
岩男のような人物は、特別な人間ではない。ただ、何も持たないままに戦争という災厄に巻き込まれた若者だ。だからこそ、視聴者の記憶にも残り、同時代の自分たちにも「考えるきっかけ」を与えたのかもしれない。
✍演技とは削ぎ落とすことだった
岩男は、「考えること」を拒まない青年だった。状況の不条理や、恋の失敗すらも受け止め、沈黙しながら自分の輪郭を変えていった。その姿は、今の時代において「言葉が先行する軽さ」に対するひとつの抵抗だったのではないか。
戦争は体験できない。だが、その断絶を越えるために、岩男は痩せた。飢えた。それは飾りのための演出ではない。削ることでしか触れられない感覚を、誰よりも濱尾自身が欲していたからこその選択だ。
演技とは、見せることではなく、削ぎ落とすことだったのだ。
❓ FAQ(撮影・役作り・演技観)
Q:濱尾ノリタカが減量したのは何キロ?
A:役作りのため合計で約10キロの減量を行ったとされています。
Q:実際に断水もしていたのですか?
A:最も痩せている戦地シーンでは、撮影前2日間、水も飲まなかったと濱尾氏が証言しています。
Q:岩男という役はもともと脚本にありましたか?
A:当初は存在せず、オーディションを経て脚本家が濱尾氏のために創出した役です。
Q:演技への姿勢を変えたきっかけは?
A:朝吹真理子氏の言葉「戦争は体験していない人にはわからない」が転機となったと述べています。
Q:朝ドラでここまでの戦時描写は珍しいのですか?
A:戦後80年の節目という背景もあり、例外的な戦時描写となったことが話題を呼んでいます。
✅ 記事全体まとめ
見出し | 要点(1文) |
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なぜ濱尾ノリタカの役作りが注目されたのか? | 食事も水も断つ演技で視聴者の関心が集まった |
役作りはどのように生まれたのか? | 脚本家が濱尾の印象から岩男という役を創出した |
なぜ岩男は視聴者の心に残ったのか? | 笑いと悲劇の振れ幅が視聴者の記憶に刻まれた |