卓球元五輪メダリストの福原愛氏が、青森大学の客員准教授を2025年度で退任していたことが明らかになった。就任は2021年だが、講義は4年間でわずか2回。大学側は「スケジュール調整困難」を理由としたが、制度的な形骸化や連携不全も浮き彫りとなっている。
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元卓球日本代表の福原愛氏が、2021年から務めていた青森大学の客員准教授を退任していたことが判明した。契約は毎年更新されていたが、2025年度は非更新となり終了。就任以来、講義はわずか2回にとどまっていた。大学側は「スケジュールが合わず契約に至らなかった」と説明している。
福原愛が青森大学を去った日、教室に残された空白
2021年から青森大学で客員准教授を務めていた元卓球選手の福原愛氏が、2025年度をもってその任を終えていたことが報じられた。形式上の「退任」だが、講義実績はわずか2回。大学が求めた「刺激的存在」は、教室ではほとんど姿を見せなかった。任期中の講義数、契約更新の背景、大学側の説明、それぞれの対応に注目が集まっている。
福原愛はなぜ講義を2回しか行わなかったのか?
初登壇まで1年半かかった理由は?
青森大学が福原愛氏を客員准教授として迎えたのは2021年11月。系列校である青森山田中高と卓球界の縁を背景に、スポーツと教育の接点に期待が寄せられていた。だが、学生の前に初めて姿を現したのは、それからおよそ1年半後の2023年6月だった。
当日の講義は「じょっぱり経済学」という公開授業の一環で、テーマは「私とオリンピック」。過去の五輪経験や選手時代の苦労、海外生活で感じた文化差などを語った。会場には約320人が詰めかけ、大学側も「非常に好評だった」と評価している。
しかし、なぜこの初登壇が1年半も先延ばしになったのか。大学側は「多忙のため調整が難しかった」とするが、就任直後から台湾での私生活トラブルが報道され、活動拠点が国外にあることが継続的な支障となっていたと見る向きもある。
2回目の講義も1年後、同テーマで実施された
2回目の講義は2024年6月。前年と同じく「じょっぱり経済学」枠で登壇した。内容も「私とオリンピック」となっており、事実上の再演形式だったとされる。講義後、内容や質に不満の声は出ていないが、教育的役割や発展的連続性を期待していた一部の学生からは「継続的な関与をしてほしかった」との声もあったという。
2022年度には講義の予定も一時あったが、実現には至らなかった。大学は「スケジュール調整の結果、実施されなかった」と説明しており、学生との継続的接点が築けない状態が続いた。
福原氏と青森大学との契約は、年度ごとの更新形式だった。2025年度は契約そのものが成立せず、事実上の退任となった。大学は「スケジュールが合わなかったため」と説明するが、外部との関係性や影響力を活用した教育連携の面では十分な成果を上げられなかったともいえる。
また、2025年6月時点でも福原氏の公式プロフィールには「青森大学客員准教授」の肩書が残ったままとされ、形式と実態の乖離が批判の対象になっている。講義という“現場”にほとんど立たなかったことが、大学と本人の双方に課題を残した格好だ。
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客員准教授の肩書は著名人との連携施策として設けられることが多く、実務より象徴的役割が重視される傾向がある
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とはいえ、大学HPや広報活動では「講義を通じた交流」が明確に記されており、教育実績としての履行が期待されていた
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同大学の他の客員教員では、年1回以上の登壇実績が一般的
他大学における「客員准教授」講義頻度の実例
契約更新が行われなかった理由は何か?
青森大学が示した「スケジュール調整不能」の一文
青森大学は、福原愛氏との契約が2025年度に更新されなかった理由について「日程調整が困難だったため」と説明している。契約自体は毎年更新方式で、業務内容や講義スケジュールについても都度協議する形式だった。
大学側の広報によると、2025年春の段階で「新年度に講義日程の提案を行ったが、福原氏側から具体的な可否の返答がなかった」としており、そのまま契約も終了。形式上は自然退任とされている。
ただ、大学の教育目標や連携施策において、客員教員の存在意義は明確であり、広報文書などにも「講義を通じた実践的交流」の重要性が繰り返し記載されていた。実質的にその役割を果たせなかったことは、大学としても「外部連携モデル」の再検討が迫られる事例となっている。
他の客員教員とは異なる関与スタイルの限界
青森大学では過去にも複数の客員教員が在籍してきたが、通常は年1回の特別講義やトークセッションを行うなど、最低限の教育活動に関与していた。福原氏の場合、活動拠点が台湾にあったことに加え、プライベートでの報道や法的係争も重なり、物理的・心理的距離が年々広がっていったと見られる。
大学内部でも「本人の知名度や卓球界との縁には感謝しているが、学生との関係性が築かれなかったのは残念」との声がある。教育機関と著名人との連携において、単なる肩書き付与ではなく、持続的・実質的な交流設計が必要であることを浮き彫りにした一件だった。
区分 | 要点 |
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契約解除の理由 | 大学側は「日程調整困難による自然終了」と説明 |
過去の実績 | 2023年・2024年に各1回講義を実施(同テーマ) |
教育成果 | 継続的講義は実現せず、学生との関係構築にも限界があった |
制度的背景 | 客員准教授の制度に見直しを求める声が学内外で浮上 |
学生側の視点に立てば、「一度会えただけでも貴重」という肯定的評価が残る一方で、「なぜ来てくれなかったのか?」という疑問が消えなかったという声もある。大学に通う日々のなかで、“たった2回”の特別授業にどう向き合えばよかったのか。福原氏を迎えた意義が、現場では語られぬまま終わった。
講義未継続に至った流れ
2021年11月:青森大学が福原愛氏を客員准教授に任命
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2023年6月:初めての公開講義(就任から約1年半後)
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2024年6月:2回目の講義実施(前年と同内容)
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2025年春:大学が新年度の講義日程を打診 → 返答得られず
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契約終了(大学発表:「スケジュール調整困難」)
象徴の椅子に座るということ
教壇とは、ただ立つ場所ではない。言葉を紡ぎ、目を見て話し、問いを受け、沈黙を共有する場所だ。誰かの名前が看板に掲げられたとき、そこに込められた期待は、教室の天井にも染みついていく。
福原愛という名の象徴を、教室は2回だけ受け取った。それは祝福だったのか、消失だったのか。大学という制度がその名を借りるなら、同時に果たさねばならぬ責任もある。教えなかった者に、何を問えるか。
学生は覚えている。名前ではなく、その人がそこに「いたか」を。
❓FAQ
Q:福原愛氏は青森大学で正式に退任したのですか?
A:2025年度の契約が更新されず、自然退任の形となっています。
Q:講義回数は本当に2回だけですか?
A:2023年と2024年に各1回、合計2回の講義が確認されています。
Q:講義が行われなかった年度も契約は継続されていましたか?
A:契約は年度更新型で継続されており、講義は行われませんでした。
Q:大学側は講義の少なさに問題を感じていたのでしょうか?
A:「日程調整の困難さ」を公式理由としつつも、教育効果の薄さへの指摘は内部でも出ていたとされます。
Q:今後も有名人の客員教員制度は続くのでしょうか?
A:制度の存続自体は続行予定ですが、実効性や登壇頻度について見直しの議論が予想されています。
区分 | 内容 |
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任命と講義 | 2021年に就任、講義実施は2023・2024年の計2回にとどまった |
契約終了 | 2025年度は契約非更新となり自然退任、大学側は「日程調整困難」と説明 |
批判と評価 | 「教育的関与が希薄」「名前だけの肩書き」など批判も上がっている |
制度的論点 | 有名人起用の象徴的制度と実効性のギャップが再認識されている |