映画「釣りバカ日誌」シリーズを11作にわたり手がけた栗山富夫監督が、2025年6月18日に悪性リンパ腫のため84歳で死去。松竹は本人の遺志を尊重し、葬儀は家族葬として実施すると発表。芸術選奨受賞や高齢者を描いた作品も評価され、静かな別れが選ばれた。
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映画「釣りバカ日誌」シリーズをはじめ数多くの作品を手がけた映画監督・栗山富夫さんが、2025年6月18日、悪性リンパ腫のため亡くなった。84歳だった。松竹が発表し、遺志により葬儀は家族葬として執り行われるという。日本映画界に長年貢献してきた人物の訃報に、各方面からの声が集まりつつある。
冒頭要約表
栗山富夫さんの経歴と代表作とは?
いつ・どこで活動を始めたのか?
栗山富夫さんは1941年2月20日、東京都に生まれた。1965年に松竹に入社し、山田洋次監督らのもとで助監督としての修業を重ねた。現場での経験を積み、映像づくりの基礎と演出手法を学ぶ中で、やがて自身の作品づくりへと歩を進めた。
1983年には『いとしのラハイナ』で監督デビューを果たす。1985年には『祝辞』が高く評価され、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。現代劇と人間ドラマを融合させる手腕が認められた。
代表シリーズはどのような作品か?
国民的人気を集めた映画『釣りバカ日誌』シリーズでは、第1作(1988年)から11作目(1998年)までの監督を務めた。主演の西田敏行さんと三國連太郎さんの掛け合いを生かしたコメディ構成や、身近な会社員の視点を通じて描かれる人間模様が特徴だった。
その後も『ホーム・スイートホーム』『ふうけもん』など、家族や老いをテーマにした作品を制作。栗山作品の多くには、社会の片隅で生きる人々へのまなざしと、温かな演出が通底している。
助監督時代に培った演出力
栗山さんは松竹撮影所において、山田洋次監督作品『男はつらいよ』シリーズなどに助監督として関わった。現場で俳優との距離感、脚本からの映像起こし、カット割りの技術などを体得していったという。
とくに人間関係の細やかな描写力と、現代劇での「笑いと哀愁」の配分バランスに関しては、この助監督時代の実務経験が土台となっている。
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映像演出のリズム感を現場で習得
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山田監督から“空気を撮る”演出術を学ぶ
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主役よりも周囲の人物描写に重きを置く姿勢
釣りバカシリーズと他作品の違い
作品群 | 特徴・演出傾向 |
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釣りバカ日誌シリーズ | 社会人コメディ+友情+家庭劇/軽妙な会話劇中心 |
『ホーム・スイートホーム』 | 高齢者の終末期と家族関係に焦点/静かな人間模様 |
『ふうけもん』 | 移住者・老年期の再生を描く/地域と人との接点を表現 |
松竹の発表と家族葬の対応は?
松竹はどう発表したのか?
映画製作を長年支えてきた松竹は、2025年6月20日、栗山富夫さんの訃報を公式に公表した。発表文では、関係者や映画ファンへの感謝とともに、葬儀が家族葬として執り行われることが明記された。
同社は「供物・供花・香典・弔電などすべてご遠慮願いたい」と呼びかけ、一般からの対応は控えるよう求めた。これは本人の遺志に従ったものであり、私的な別れの時間を大切にする姿勢がうかがえる。
なぜ家族葬を選んだのか?
栗山監督の家族からは、生前の意向として「静かな形で見送りたい」との希望が伝えられていたという。松竹の発表文でも、この意志が最大限に尊重されたとされている。
近年、著名人の葬儀においては、家族のみで行うケースが増えている。社会的役割の大きな人物であっても、家族と親しい関係者のみによる葬儀を通じて、個人の意思と静かな弔意が重視される傾向がある。
「釣りバカ」以外の後期作品と地域密着型の演出
栗山監督は2000年代以降、『ホーム・スイートホーム』シリーズや『ふうけもん』など、高齢者や地域住民の暮らしに焦点を当てた作品を多く手がけた。
これらの映画では、主人公の老いと再出発が丁寧に描かれ、都市部ではなく地方都市や農村を舞台にする傾向が顕著だった。家族や近隣との関係、日常の葛藤が中心に据えられ、「老いること」のリアルな感情が演出の中心に置かれた。
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『ふうけもん』は熊本県を舞台にした移住者の物語
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地方文化と個人の再生を重ねる構成
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ロケ地重視の撮影姿勢が後期作品の特徴
✅ 後半の注目点 | ▶ 要点 |
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高齢者や地方を描いた後期作品 | 『ふうけもん』などで地域社会と老いの再生を描写 |
映画ファンからの感謝の声も増加中 | SNSなどで過去作への再評価が進んでいる |
映画と日常の境目はどこにある?
──私たちは「映画は非日常」と思い込んでいないか。栗山監督の作品には、ありふれた家庭、定年後の父親、バスに乗る老女…そうした「隣にいる誰か」のような存在が映し出されてきた。
きらびやかなスターではなく、ごく普通の生活者に焦点を当てるその視線に、映画の本質が潜んでいたのかもしれない。
🔁 栗山監督の映画制作の軌跡と重心の変化
松竹入社(1965年)
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助監督として山田洋次作品などに従事
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『いとしのラハイナ』(1983年)で監督デビュー
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『祝辞』(1985年)で芸術選奨新人賞受賞
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『釣りバカ日誌』シリーズ11作を監督(1988〜1998年)
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家族・高齢者・地域をテーマにした作品群(2000年以降)
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『ふうけもん』(2014年)で老年期の再生を描写
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2025年、逝去(84歳)・家族葬にて送られる
栗山映画が問いかけた「人生の主役」は誰か?
「目立たない者たちの人生にも、映画になる理由がある」
栗山作品を見た後に残るのは、物語の波ではなく“人の顔”だ。仕事帰りのサラリーマン、老夫婦、郊外の住宅街。彼らはドラマチックな事件を起こさない。けれど、その毎日は、驚くほど豊かで、切実で、愛おしい。
誰が主役なのか。それは有名人ではなく、名もなき人々。栗山監督がレンズを向けたのは、いつだって「誰でもない人」の中にある、かけがえのなさだった。
❓ FAQ
📘 まとめ
✅ 生涯と作品の歩み | ▶ 要点 |
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松竹入社〜助監督経験 | 山田洋次監督らの現場で経験を積む |
映画監督デビュー | 『いとしのラハイナ』(1983年)で初監督 |
コメディと人情劇の融合 | 『釣りバカ日誌』で国民的な人気を確立 |
地域社会と老いの表現 | 『ホーム・スイートホーム』『ふうけもん』など |
✅ 社会的制度対応 | ▶ 要点 |
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訃報の発表体制 | 松竹が公式発表、供花等辞退を明記 |
葬儀形式 | 本人の意志により家族葬として実施 |
追悼姿勢 | 公的対応は避け、静かな見送りを選択 |