沖縄タイムスが13日間にわたり、戦没者24万2567人の名前を新聞紙面に掲載。戦後80年・平和の礎建立30年を迎える節目に行われたこの企画は、遺族や若者の心に届き、教育や追悼の現場でも共有された。「名前」だけが語る記憶の継承と、紙面が果たした祈りの役割をたどる。
新聞に並ぶ24万人の名前
沖縄戦没者追悼
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沖縄タイムスは、戦後80年と「平和の礎」建立30年の節目を迎える中、6月10日から13日間にわたって、戦没者24万2567人の名前を新聞紙面に掲載した。全52ページに及ぶ追悼企画には、命の重さを紙面で伝える強い意志が込められていた。読者や教育現場でも広く共有され、記憶の継承としての役割を果たしている。
沖縄タイムスが伝えた24万人の名前 紙面に刻んだ記憶と祈り
沖縄タイムスは2025年6月10日から13日間にわたり、紙面を通じて24万2567人の戦没者の名前を掲載した。戦後80年と「平和の礎」建立30年という二重の節目を迎える中での企画で、1日4ページ、合計52ページに名前を印字。遺族や読者の声とともに、名前を「見える形」で残す意味が静かに問いかけられている。
なぜ24万人の名前を掲載したのか?
平和の礎と戦後80年の節目が重なる中で
2025年は沖縄戦の終結からちょうど80年。あわせて、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」が建立されてから30年という節目の年でもある。このタイミングで企画された「新聞紙面への全氏名掲載」は、沖縄タイムスが掲げる「新たな戦争犠牲者を出さない」という理念と連動している。
名前が刻まれた「平和の礎」は、沖縄県糸満市摩文仁の丘にある戦没者追悼碑で、1995年の「慰霊の日」に合わせて建立された。日本国内だけでなく、アメリカや旧植民地出身の軍人・住民も含めた24万2567人の名前が刻まれており、毎年のように新たに確認された犠牲者の刻銘が追加されている。
24万人すべてを可視化するという作業
この新聞企画では、名前の1文字1文字を2ミリ四方の文字で紙面に並べ、読者が一目で名前を確認できるように設計された。名前を構成する特殊な漢字(外字)は816種類にのぼり、そのうち574字は沖縄タイムスが独自に作成。掲載の最終日である6月22日には、52ページすべてを繋げると「平和の礎」と月桃の花が浮かび上がるデザインも組み込まれた。
紙面を閲覧した読者からは「祖父の名前を見つけて涙が出た」「教室に貼って平和学習に活用したい」といった声が寄せられ、地域や世代を超えた共有の場としての機能も果たした。
紙面に載せるという行為の意味
「平和の礎」が摩文仁に建てられた1995年当時、多くの遺族が現地で祈りを捧げた。しかし高齢化が進むなかで、現地へ足を運ぶことが難しくなった人も少なくない。新聞という日常にある媒体に名前を刻むことで、「読む追悼」「見る慰霊」の形が新たに浮かび上がる。
また、紙面には故人の生年や所属、出身地は記されておらず、純粋に「名前」だけが並んでいる。この選択は、戦没者一人ひとりに立場や役割を超えた対等な存在としての意味を持たせようという意図も込められているとされる。
従来の慰霊行為と今回の新聞掲載の違い
読者や遺族はどう受け止めたのか?
学校や家庭でも掲示される紙面
掲載が始まった6月10日から、沖縄県内の学校や自治体、商業施設では新聞紙面を掲示する動きが広がった。とくに平和学習に取り組む高校では、生徒たちが自ら名前を探し、家族の記憶と重ね合わせる場面も見られたという。
「見た瞬間に涙がこぼれた。祖母から聞いていた叔父の名前を見つけた」と話す女子高校生の証言もあり、名前を見ることで実感として受け止める効果が生まれている。
遺族が語った「姿は見えずとも名前があるという意味」
掲載された名前を見つけた遺族の中には、「顔も写真も残っていないが、名前が紙面にあることで存在を感じられた」と話す声もあった。中には「実家で切り抜きを仏壇に供えた」と語る人もおり、新聞が「名前の位牌」としての機能を果たした側面も浮かぶ。
「風化と記憶」のあいだで、名前だけが沈黙の証言者として立ち上がる──新聞というメディアの意義が、こうした形でも示されている。
新聞という形での「慰霊」の再定義
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名前を文字として見つめ直すという行為は、戦争の記憶を「情報」ではなく「個人」として捉え直すことに直結する
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とくに若年層にとって、映像や音ではなく、新聞という「止まった媒体」で時間を留める経験が新鮮だったという声もあった
名前掲載までの工程と意義
戦没者名簿の確認
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外字の制作(816字中574字を独自作字)
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誤字脱字・表記揺れの確認と現地調査
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13日間に分けて52ページに分割掲載
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最終日には全体で「平和の礎」の画像が浮かぶ紙面構成
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読者・遺族・教育現場で活用 → 実感と追悼の場として共有
その名前を見つめる理由は何か
見た目は、ただの2ミリ四方の文字の羅列。でも、人はそこに「誰か」を見つけてしまう。名前を見て涙を流したという読者たちは、その文字に人間の体温を読み取ったのかもしれない。「亡き祖父の名前があった」と語った遺族にとって、それは記録ではなく“再会”だったのだろう。
名前を紙面に刻むという意味は?
名前の掲載は、過去を忘れないための「証明」であると同時に、未来に向けた「防波堤」でもある。戦争は数字として記録されることが多いが、名前の連なりはその1つ1つに命があったことを強く突きつける。
今回の新聞企画は、記録ではなく「記憶」としての意義を持っていた。媒体が新聞だったからこそ、家庭や学校、地域のさまざまな場所で受け継がれる余白が生まれた。
「名前」だけが語り継ぐこと
姿は残らない。言葉も声も残らない。ただ、名前だけが並んでいる。戦後という時間の中で、これほど多くの「名」だけが存在するということに、私たちは慣れすぎてきたのかもしれない。
名前を見つける。そこに在ったはずの人を思う。それは“誰か”ではなく、“私”と地続きの存在だ。新聞という、日常にあるメディアにそれが掲載された意味──それは「いつもの朝に、追悼があった」ということだ。
歴史は語られることを待っていない。ただ、読み取られることを待っているだけだ。
❓FAQ
Q:掲載された戦没者の名前の数は?
A:2025年時点で「平和の礎」に刻まれている24万2567人が対象となりました。
Q:掲載された新聞紙面はどうやって確認できますか?
A:沖縄タイムスの本紙に13日間連続で掲載されたほか、一部図書館などでも閲覧可能とされています(NHK)。
Q:「平和の礎」とは何ですか?
A:沖縄県糸満市の摩文仁にある戦没者追悼碑で、1995年に建立されました。毎年6月23日「慰霊の日」に式典が行われています。