大阪の運送会社が、横領による社保料滞納の猶予申請を拒まれたと主張し、日本年金機構を提訴。職員が制度を把握せず差し押さえが強行された経緯と、係争中の訴訟構図を報道形式で整理します。制度の運用と企業の信頼関係に注目が集まっています。
猶予制度を使えず
破産危機
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🟦要約表
社会保険料の納付をめぐる手続き対応が、一つの中小企業の命運を分けた。運送会社「シーガル」が直面したのは、年金事務所職員の対応による“制度の不通達”と、その結果としての破産危機だった。大阪地裁で現在も係争中の訴訟には、国の制度と企業の信頼のすれ違いが色濃く表れている。
社保滞納と差し押さえで会社が崩壊寸前に?
滞納発覚のきっかけは?
大阪府高槻市に本社を構える運送会社「シーガル」。創業は平成16年、主にスーパーマーケットへの食品配送などを手がけ、地域に根ざした物流事業を展開してきた。だが令和5年10月、年金事務所からの呼び出しが転機となった。
呼び出されたのは社長と経理担当者。そこで突然、過去十数年に及ぶ社会保険料の滞納があると告げられた。金額は延滞金を含めて約3,900万円。社長は初めてその事実を知ったという。
その場で事情を問うと、経理社員は「長年会社資金を着服し、中国に住む妻に送金していた」と語ったという。動機や詳細は不明だが、ほどなくして社員は死亡。自殺とみられているが、正式な死因や背景は未公表とされる。
内部で納付処理を一手に担っていたのはこの社員一人だった。社内でも滞納に気づく機会がなく、危機は静かに進行していた。
差し押さえはなぜ回避できなかった?
滞納が発覚した後、会社側は年金事務所に「横領による滞納は猶予制度の対象になるはずだ」と相談した。国税徴収法や厚生年金保険法では、災害や盗難などに準じて横領被害も「やむを得ない事情」とされ、申請により納付猶予が可能とされている。
だが、応対した職員は「横領が猶予対象になるとは知らなかった」と述べ、申請書の提出そのものを受け付けなかったと、会社側は主張している。正式な申請の機会すら与えられないまま、手続きは宙に浮いた。
その後も繰り返し制度の適用を求めて交渉を続けたが、ようやく別の職員が「適用は可能」と認めたのは翌年8月のことだった。だが、その時にはすでに差し押さえ手続きが進行しており、「今さら申請されても受理できない」として退けられたという。
会社の売掛債権は次々と押さえられ、結果的に差し押さえ額は約3,500万円に及んだ。
🔸差し押さえの余波は経営全体に拡大
プレハブ事務所への移転を余儀なくされたのは、この処分の影響だった。かつて3階建てだった本社事務所の賃料を払えず、会社は事務所を明け渡し、6畳程度の仮設スペースでの業務へと追い込まれた。
さらに信用も失った。売掛先の一部は支払いを停止し、6社あった取引先のうち4社が契約を打ち切った。従業員数は約3分の1にまで縮小され、30台あった貨物トラックも7台にまで減らしたという。
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差し押さえ実行後、売掛債権の喪失が信用不安に直結した
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財務圧迫により賃料・燃料費の支払いも困難化
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トラック・従業員の維持ができず、営業規模が激減した
滞納発覚前の状態 | 差し押さえ後の変化 |
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事務所:3階建て本社 | 事務所:6畳のプレハブへ移転 |
トラック:約30台体制 | トラック:7台まで縮小 |
従業員:フル稼働体制 | 従業員:約3分の1に減少 |
取引先:6社との継続契約 | 取引先:4社が契約解除 |
財務:運営継続可能水準 | 財務:売掛債権押収により破綻危機 |
申請拒否か未提出か、争点は制度理解の差に?
猶予制度の法律的根拠は?
社会保険料の納付が困難になった事業者に対して、猶予や分割納付を認める制度は、国税徴収法および厚生年金保険法により規定されている。とくに「災害・盗難・その他やむを得ない事情」がある場合、申請により一時的な猶予を認めるという構成だ。
横領被害は「やむを得ない事情」に該当するという解釈は、国の通達でも過去に明示されている。同様の判例や運用例においても、企業側が被害の実態を証明すれば、一定期間の納付猶予措置が認められることがあった。
つまり、「制度があるかどうか」ではなく「その制度が説明され適切に案内されたかどうか」が争点となっている。
年金機構側の反論は?
これに対し、日本年金機構は真っ向から反論している。機構側の説明では、確かに滞納についての相談は受けていたが、会社側から正式な猶予申請書が提出された事実はないという。
また、経理担当の社員とは過去に複数回の折衝があったとし、「滞納の全容は会社側でも把握していたはず」との認識を示している。たとえ経理担当が死亡していたとしても、会社組織としての内部統制の問題であり、行政側に落ち度はないという立場だ。
企業の説明責任と、行政の案内義務がかみ合わないまま、訴訟は現在も大阪地裁で係争中である。
🔁滞納発覚から訴訟までの流れ
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社長が年金事務所で滞納を初めて把握(令和5年10月)
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猶予制度の適用を相談 → 職員が「対象外」と回答
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別職員が制度適用を認めるが「差し押さえ中で不可」と拒否
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約3,500万円の売掛債権が差し押さえられる
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令和5年12月、会社が「不受理は違法」として提訴
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現在も大阪地裁で係争中(制度解釈の相違が争点)
制度はなぜ届かなかったのか
たとえば、あの場で「申請できます」と一言があれば、今も30台のトラックが走っていたのかもしれない。誰かが制度を知っていて、誰かがそれを案内するだけで、防げた倒産もあるはずだ。
年金制度は信頼に支えられている。その信頼を築く手段の一つが、制度の「周知」であり「案内」だった。小さな会社が知りようのない情報を、行政がどこまで丁寧に伝えるか。それは企業にとって、生死を分ける境界線になる。
では、制度があるのに、説明されなかったとき――
その責任は、どこへ向けられるべきなのだろうか?
制度の信頼は誰が担保するのか
滞納・差し押さえ倒産の現状は?
日本年金機構によると、社会保険料の滞納により差し押さえ処分を受けた事業所数は、令和5年度において約4万2,000件に上った。これは、コロナ禍以前の令和元年度と比較して1.2倍超にあたる水準だ。
背景には、物価高騰や人手不足、ポストコロナ下での業績不振があるとされる。加えて、コロナ特例の納付猶予措置(最長3年)が終了したことも、滞納件数の増加に拍車をかけた。
また、帝国データバンクの調査によれば、税金や社保料の差し押さえを直接原因とした倒産は令和5年度に154件発生。これは、2020年度の集計開始以降で最多記録とされている。
同様の被害企業はなかったのか?
実際には、「制度が存在することを知らなかった」「相談時に制度の説明がなかった」という声は他にもある。だが、それが可視化されず、法的に争われるまで至る事例は極めてまれだ。
この点で、シーガル社の訴訟は制度運用の現場に一石を投じる位置づけにある。「知らされなかった制度」の責任は、果たして誰が負うべきか――その輪郭がようやく問われ始めている。
制度は“ある”ことと“使える”ことは、まったく別の問題だ。
情報は常に届くべき場所に届いているとは限らない。企業は書類に不備があれば非難されるが、行政は説明の欠落にどれほどの責任を負うのか。その非対称性が、生存の格差を生む。
一つの申請書。一つの言葉。
それがなければ、企業は静かに潰れていく。
問いかけるべきは、制度の有無ではない。
「それは、本当に届く制度だったのか?」という一点に尽きる。
❓FAQ
Q:横領による保険料滞納でも猶予制度は使えるのですか?
A:通達上、災害・盗難・横領など「やむを得ない事情」に該当すれば、制度の対象とされています。
Q:正式な申請書を出していなくても相談実績があれば制度は適用されますか?
A:原則としては、所定の申請書類の提出が必要ですが、行政案内の不備が争点になる場合もあります(係争中)。
Q:今後の行政対応に改善は見られますか?
A:現時点で具体的な制度改善策や周知強化の方針は発表されていません(2025年6月時点)。
📊まとめ
見出し | 要点整理 |
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▶ 発端 | 経理社員の横領で社保滞納が発覚/社員は後に死亡 |
▶ 相談経緯 | 猶予制度の相談も職員が制度対象を把握せず |
▶ 行政対応 | 別職員が「適用可能」と認めたが、時すでに遅し |
▶ 結果 | 売掛債権約3,500万円が差し押さえ/事務所移転・減車 |
▶ 訴訟構図 | 「説明義務を果たさなかった」vs「申請未提出」争点化 |