小学校の体育授業で、縄跳びが跳べない自閉症の児童が1人だけ座ることを許されず立たされたままだったことを受け、母親が「公開処刑だ」とSNSに投稿。特性への理解不足や学校の指導法をめぐり、共感と異論が交錯している。学校側の対応と社会の認識の差が問われている。
「公開処刑」式体育
母親の投稿が波紋広げる
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体育の授業中、苦手な縄跳びを跳べなかった自閉症の児童が、1人だけ座ることを許されなかった――。母親がSNSに投稿した学校の指導法が「公開処刑だ」と波紋を呼び、共感と議論が広がっている。
「公開処刑」とされた体育の授業とは
いつ・どこで起きたのか?
関東地方に住む30代の女性が、SNSに投稿した内容が波紋を広げている。話題になったのは2025年6月19日の投稿で、発端は小学校1年生の息子が体育の授業で受けたとされる「指導のあり方」だった。
投稿者の息子は自閉スペクトラム症(ASD)と発達性協調運動障害(DCD)の診断があり、特別支援学級に在籍している。投稿によれば、息子は縄跳びが極端に苦手で、通常学級(交流級)の体育の授業で、跳べないために「座ることも許されず、最後まで立ち続けさせられた」という。
この状況に対し、母親は「公開処刑だ」と怒りを表明し、体育授業の指導スタイルに疑問を呈した。投稿は瞬く間に拡散され、1万件を超えるリポスト、9.7万件以上の“いいね”を集めている。
なぜ注目されたのか?
注目の背景には、「できないことが可視化される授業」としての体育の特性がある。投稿者は、「跳べたら座れる、跳べなければ立ったまま」というスタイルに強く疑問を持ち、「自尊心を傷つけている」と指摘している。
息子は体育の授業をきっかけに学校への行き渋りが目立つようになったといい、母親は学校側に特性を説明し、教育委員会とも連携して対応を求めていたという。
SNSでは、「それは公開処刑だ」「できない子への配慮がない」「体育嫌いを増やすだけ」といった共感の声が相次ぐ一方で、「甘やかしだ」「家で練習すればいい」とする反対意見も一定数見られる。特性への理解と配慮のあり方をめぐり、意見が分かれる状況となっている。
「共感」と「甘やかし論」の衝突
指導内容に対する疑問とともに、SNSでの反響が大きく分かれたのは、障害の特性理解と教育方針に対する考え方の差によるものとされる。母親の投稿に対しては、「わが子と同じ経験をした」という共感の声が目立ち、教師による無理解や集団圧力に対する批判が多く寄せられた。
一方で、「できないことから逃げてはダメ」「学校に任せるべき」など、親の対応への批判的意見も並行して見られた。教育現場における指導の形式や配慮の限界、家庭と学校の連携方法など、議論の焦点は多岐にわたっている。
旧来型体育指導と特性配慮型指導の違い
項目 | 旧来型体育指導 | 特性配慮型体育指導 |
---|---|---|
座るルール | 成功者のみ座る形式 | 自由着席または個別設定 |
障害の考慮 | 一律進行が基本 | 個別配慮が前提 |
児童の状態確認 | 集団評価が主 | 個別面談や支援会議あり |
教員の役割 | 成績評価と統制中心 | 支援と観察が重視される |
児童の心理負荷 | 苦手意識・羞恥心を助長 | 自己肯定感を重視 |
どのような反応と対応が出ている?
SNS上の共感と批判の声
母親の投稿は拡散とともにさまざまな声を呼び込んだ。中でも多かったのは、「うちの子も同じ経験をした」「自分も子どもの頃に体育でつらい思いをした」といった共感のコメントである。視覚的に「できないこと」がはっきりする体育の場面では、特性がある子どもにとって精神的負担が大きいという体験が共有されている。
一方で、「学校のルールに従うべき」「できるように家で練習すべき」といった批判も一定数寄せられた。投稿者はこうした意見に対し、「親の甘やかしとの批判には賛同できない」と反論し、障害特性に対する社会的理解の不足を訴えた。
教育現場と家庭の間で揺れる配慮
学校側はこれまでにも保護者と連携してきたとされるが、縄跳び授業での「座らせない指導」が問題となり、教育委員会とも協議が行われた。投稿者によれば、特性については入学前から説明し、体育への苦手意識も伝えていたが、指導現場では配慮が十分に機能しなかった可能性がある。
体育という場が、結果や能力が明確に比較される場面である以上、「同じ空間で何が適切か」を判断するには、個別配慮の制度設計と実施の精度が問われる。教育機関としての説明責任が注目される中、学校現場の裁量と家庭の期待の間での「ズレ」が、今後の議論点となる。
支援学級と交流級の制度的課題
特別支援学級に在籍する児童が通常学級の授業に参加する「交流級」制度では、支援の枠組みと通常教育の評価基準とのあいだにギャップが生じることがある。特性への配慮と一律評価との両立は難しく、特に体育などの集団行動では矛盾が表面化しやすい。
今回の事例では、学校側が設定した「跳べたら座れる」という評価方式が、結果として当該児童の「排除」につながった構造が指摘されている。交流の意義を保ちつつ、実質的なサポートが機能するためには、制度設計と教員配置の両面から再検討が必要となる。
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交流級での授業は「できる前提」で進行しやすい
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支援と評価の基準が別構造であるため衝突が起きやすい
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教員の個別支援スキルのばらつきが課題化している
指導状況と拡散までの流れ
① 体育授業で縄跳び実施
↓
② 跳べなかった児童が座れず立ち続ける
↓
③ 親が状況を知りSNSで発信
↓
④ 共感と批判が拡散
↓
⑤ 教育委員会との連携と対応協議へ
体育指導の形式が、「できる子だけが座れる」という成果基準で進められていたとしたら、その指導は誰にとってのものだったのか。支援が必要な子どもたちの心が、その中で置き去りにされる構造に、私たちはどこで気づけたのだろうか。
支援と指導の境界が問われた体育授業
体育指導という制度が、平等を目的としながら、結果的に一部の児童に過剰な重圧を与える形で運用されている。本来「交流」として機能すべき環境が、形式的な一律評価によって、特性を持つ子どもを排除する場になってはいないか。その制度の運用目的は、誰の安心のためにあるのか――改めて問い直す必要がある。
❓FAQ
Q:体育で「できた子から座る」形式の指導は、教育課程に定めがありますか?
A:文部科学省の学習指導要領にはその形式は明記されておらず、各学校や教員の裁量で指導方法が運用されています。
Q:特別支援学級に在籍する児童が、通常学級の体育に参加する制度はどう決まっていますか?
A:教育委員会と学校が連携し、「交流及び共同学習」の方針に基づいて個別支援計画の中で決定されます。
Q:親が体育授業の不参加を申し出た場合、学校はどう対応しますか?
A:学校は保護者と面談を行い、医療的・心理的な配慮をふまえて判断することが一般的です。正当な理由があれば欠席が認められます。
Q:教育委員会が指導方針に介入するケースはありますか?
A:保護者からの申し出や不適切指導の報告があった場合、教育委員会は調査・指導の権限を持っています。必要に応じて指導改善を求めます。
Q:特性のある児童への体育指導にはどのような支援方法がありますか?
A:運動技能や不安感に応じて、個別支援員の配置・課題の段階化・目標の柔軟化などが教育支援計画に基づいて実施されます。