渋谷3丁目、警察署裏の一角にそびえていた謎の円錐ビル。「渋谷の竪穴式住居」と呼ばれ、建築ファンの間で語り継がれてきたこの建物が、2025年夏から再開発により姿を消す。見納めは今しかない――その由来と意外な正体をたどる。
“謎の円錐ビル”が解体へ
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40年の歴史を持つ特徴的な建物「渋谷の竪穴式住居」が再開発に伴い解体されることとなった。
東京・渋谷の“異形建築”、再開発で姿を消す
「渋谷の竪穴式住居」として一部に親しまれてきた三基商事の旧東京本部ビルが、再開発の進行により解体されることが正式に確認された。ビルは東京都渋谷区渋谷3丁目の警視庁渋谷署裏手に位置し、独特な円錐形の外観と窓の少ないファサードが印象的だった。設計は、竹中工務店に在籍していた建築家・永田祐三氏によって手がけられ、1985年(昭和60年)に完成した。
この建物は当初、三基商事の東京支社として使用され、のちに東京本部として令和4年まで利用されていた。建物の通称である「竪穴式住居」は、建築ファンやSNSユーザーの間で使われていた呼称であり、実際のモチーフはメキシコ・ユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡「ウシュマル」に着想を得たものである。
再開発計画では、当該ビルを含む5棟のビル群が同時に解体されることが決まっており、解体作業は2025年7月より本格化した。来年5月をめどに撤去を完了させる予定とされており、その後は渋谷川の自然環境や金王八幡宮の景観に調和する形での都市開発が進められる見通しである。
ビルの構造は鉄筋コンクリート造で、地下1階・地上8階建て。外部からは階層構造を視認しにくく、内部構成も非対称的であったことから、建築雑誌などでは「要塞のような都市建築」として紹介されることもあった。一方で、一般的な商業施設やオフィスビルとは異なる造形が、都市景観の中で異質な存在感を放っていたことも否定できない。
なお、現段階で再開発後の具体的な施設名や入居企業は公表されていないが、関係者によれば「IT関連企業の誘致」が想定されている。国土交通省や東京都が進める都市再生プロジェクトの一環として、周辺の緑地・歩道整備と合わせて都市機能の更新が図られることになっている。
設計思想と建築的特徴
設計を担当した永田祐三氏は、後年「ホテル川久」(和歌山県白浜町)でも独創的な建築を手がけたことで知られるが、本ビルにおいても“用途を超えた造形”への挑戦がうかがえる。コンクリート打ち放しによる質感の強調、開口部を最小限にとどめた壁面、そして中央部から上方に向かって絞り込まれるような構造は、いずれも意図的に視認性と重厚感を両立させる手法とされていた。
この形状により、エントランスや採光設計が制限される一方で、外部の喧騒を遮断する内部空間が確保されており、用途としては当初からオフィスユースに最適化されていたとされる。特徴的な階段配置やアトリウム構造も、ポストモダン建築期の意匠を象徴するものとして、建築史研究においてしばしば引用されていた。
建築文化の記録と“竪穴式”通称の背景
竪穴式住居という通称は、あくまで円錐状のフォルムと窓の少なさを見た一部ネットユーザーによる呼称に過ぎず、正式にはこの建築物にそうした建築様式との関連性はない。だが、都市の中で異形を成す建物に愛着を抱くという文化的背景が、この俗称にある程度の市民権を与えたことは否めない。
SNSや建築雑誌で紹介される中で、このビルは単なる企業施設ではなく「記録に残すべき建築」として注目されてきた。とくに、建築学生の卒業論文や、都市空間論における事例としてもたびたび取り上げられており、その文化的な蓄積が一部の解体反対論の背景となっていた。
渋谷の竪穴式住居と他の“異形ビル”
建物名 | 所在地 | 設計者 | 特徴 | 解体状況 |
---|---|---|---|---|
三基商事旧東京本部 | 渋谷区渋谷3丁目 | 永田祐三(竹中工務店) | 円錐形・開口部少・要塞型 | 2025年解体開始 |
中銀カプセルタワー | 中央区銀座 | 黒川紀章 | メタボリズム建築・カプセル連結構造 | 2022年に解体完了 |
代々木会館(タコ公園前) | 渋谷区代々木 | 不詳(戦後建築) | 鉄骨増築の積層構造・曲線外観 | 2019年に解体済 |
再開発地域の全体像と計画対象
渋谷3丁目の再開発計画では、三基商事旧東京本部ビルを含む合計5棟の建物が同時に解体対象となっている。これらのビルは渋谷署裏手から渋谷川沿いにかけて連なっており、いずれも1980年代以前に建てられた中小規模の事務所ビルや企業拠点だった。再開発の主体は民間事業者と地元の再生支援機構が合同で進めており、都市計画決定は2024年度内に完了していた。
本件の再開発は、単なる建て替えではなく「自然との共存」を掲げた都市再生のモデルケースとして位置づけられており、渋谷川沿いの緑地整備、歩道拡幅、IT企業向けオフィス棟の誘致などが段階的に進められる予定とされている。
再開発で失われる
三基商事旧東京本部ビルは、完成当初から商業施設や一般開放を前提としない社屋として使用されていたため、建物の設計意図やモチーフに関する情報は公式資料や案内板にほとんど残されていなかった。また、「竪穴式住居」という通称も、企業や設計者によるものではなく、SNSや建築系メディアを通じて自然に広まった非公式な呼び名である。
今回の再開発では、解体工事とともに建物自体が消滅するだけでなく、こうした俗称や意匠に関する記録が公的には残されにくい構造があった。たとえば再開発計画書や都市計画資料では、解体対象ビルの形状や建築文化的背景は一切触れられておらず、事務的な建物番号と所在情報のみが記されている。
このような形式の再開発では、視覚的な特徴や都市的な記憶よりも、事業効率や機能更新の優先順位が高くなる傾向がある。その結果、構造として記録されなかった建物の個性は、物理的な撤去とともに都市空間から消えていくことになる。建築物の存在が認識され続けるかどうかは、記録が明文化されていたかどうかに大きく依存していた。
ビル解体から再開発まで
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解体決定と対象範囲の確定(2024年末)
└ 渋谷3丁目の5棟が再開発対象に含まれると決定 -
解体工事の着手と建物撤去(2025年7月〜)
└ 三基商事旧東京本部ビルを含めて順次解体開始 -
跡地活用と新施設の整備(2026年〜)
└ IT企業誘致型のオフィス街・自然回帰型空間に転用予定
FAQ:よくある質問
Q1. なぜ“竪穴式住居”と呼ばれていたの?
A. 正式名称ではなく、SNS上でその形状が古代住居に似ているとして建築愛好家が名付けた通称です。
Q2. 設計者の永田祐三氏は他にどんな建築を手掛けた?
A. 和歌山県白浜町にある「ホテル川久」が代表作で、装飾性と造形性に富んだ作品が多くあります。
Q3. 解体の主な理由は何?
A. 老朽化ではなく、都市計画に基づく再開発によるものです。
Q4. 跡地はどう活用される予定?
A. IT関連企業の入居を想定したオフィス棟、渋谷川沿いの緑地整備などが計画されています。
Q5. 建築物としての文化的価値は残される?
A. 現物は撤去されますが、写真・記録資料・研究論文などを通して建築史的な価値は今後も参照されます。
まとめ
都市再開発が消すもの、残すもの
都市には、明確に“残すと決められた建物”と、そうでない建物が存在する。前者は文化財や指定建築として保存され、後者は役目を終えたとされて取り壊される。本件の三基商事旧東京本部ビルは後者に分類された。
だが、重要なのは“建築的価値”が評価されなかったわけではないという点だ。設計者の意図、時代背景、使用の変遷──それらが通称「竪穴式住居」として一部の人々の記憶に定着した事実は、都市空間に対する感覚の集積である。
記録を辿れば、確かにそこに異形の建築が存在していた。そして今、その姿は解体される。しかし、それが“存在しなかったこと”にはならない。都市において記憶とは、物理的な遺構以上に、共有された視線の蓄積である。そうした視線を経た空間は、たとえ更新されたとしても、その地層に過去を刻んでいる。