お笑いコンビ「駆け抜けて軽トラ」(小野島徹・餅田コシヒカリ)が、公式YouTubeで7月末の解散を発表。結成8年、テレビやSNSで活躍した2人は今後の道をそれぞれ明かし、餅田は洋服のプロデュースに注力、小野島は芸名を「小野島トオル」に改名し栃木を拠点に活動を続けるとした。円満な解散の舞台裏に迫る。
駆け抜けて軽トラ解散発表
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お笑いコンビ「駆け抜けて軽トラ」(小野島徹・餅田コシヒカリ)が、7月末をもって解散することを発表した。
結成から8年、テレビ・舞台・SNSを横断して活動を続けてきた2人は、互いの進路を尊重した上でそれぞれの道を歩む決意を示している。
餅田はプラスサイズブランドのプロデュース、小野島は芸名変更と栃木拠点での芸能活動に注力すると述べた。
解散発表と8年間の活動の締め括り
お笑いコンビ「駆け抜けて軽トラ」が、2025年7月をもって解散することを発表した。メンバーの小野島徹と餅田コシヒカリは、2日付でYouTube公式チャンネルを更新し、解散の決断に至った経緯を自らの言葉で明かしていた。冒頭では「私たち、駆け抜けて軽トラは2025年7月をもって解散いたします」と述べ、穏やかな表情でファンに向けた報告を行っていた。
結成は2017年。『とんねるずのみなさんのおかげでした』のモノマネ企画や、『おもしろ荘』などで注目を集め、個性のある芸風とビジュアルで人気を確立していった。特に餅田は「カトパン似」としてテレビ出演が続き、単独のタレント仕事も拡大していた。小野島もまた、舞台や脚本など多方面に関心を寄せ、個々の領域で経験を重ねていた。
活動歴8年という区切りと、それぞれの方向性の違いが重なったことで、コンビは「円満解散」という選択に至った。コメントの中では、お互いに対する敬意と感謝が繰り返し表現されており、あくまで前向きな進路決定であることが丁寧に伝えられていた。
解散発表動画と語られた想い
YouTube動画には2人が並んで登場し、冒頭で「今回皆さまにご報告があります」と切り出した。その後、正式な解散発表がなされ、視聴者に向けて「ありがとうございました」と言葉をかける様子が映っていた。動画は終始和やかな空気で進み、互いに微笑み合う姿からは不和やトラブルとは無縁であることがうかがえた。
発言の中で小野島は「餅田さんが芸人というより、いろいろ多方面に進んでいきたいということで」と語り、相方の決断を受け入れたことを明かしていた。一方の餅田は、「私が本来やりたかったのは女優や服のプロデュースだった」と話し、「芸人活動は想定外だったが、軽トラでの経験が背中を押してくれた」と涙ぐむ場面も見られた。
発言に込められた思い出
今回の発表にあたり、印象的だったのは餅田が「芸人になりたくなかった」と語ったくだりだった。上京時の目標は女優業であったことが明かされ、軽トラ結成後に芸人としての役割を受け入れていったという経緯が本人の口から語られていた。
また、小野島は「自分もロケや脚本の仕事が好きだった」と振り返り、コンビで培ってきた時間と経験に対し「組んで良かった」と述べていた。解散は分岐点ではあるが、互いの進化に向けた自然な選択だったことが伝えられていた。
過去出演との違いと現在地
比較すると、結成初期はテレビ中心の活動が多かったが、近年は餅田の単独出演やSNSを通じた発信が主軸となっていた。小野島の活動も裏方的な脚本・演出などに広がりを見せており、コンビとしての機能と個々の展開に違いが生じていたことがわかる。
餅田と小野島、それぞれの新章へ
今回の解散発表では、それぞれの今後の活動方針も明確に語られていた。餅田コシヒカリは、プラスサイズ向けの洋服ブランドを中心に「プロデュース業に力を入れていく」と述べ、今ある仕事も丁寧に継続していく意向を示していた。芸人という枠にとらわれず、自身の感性や表現を活かす分野に軸足を置くと表明していた。
一方の小野島徹は、解散と同時に芸名を「小野島トオル」へ改名し、栃木を拠点に活動を続けていくと明言していた。ピン芸人としての活動に加え、役者や脚本など表現領域を広げる計画も語られ、YouTubeでの発信やロケにも継続的に取り組む方針を明かしていた。
このように、解散は終わりではなく、それぞれが自分自身の可能性に向き合うための新たなスタートであると位置づけられていた。動画内では、二人の決意と信頼関係がにじむ発言が随所に盛り込まれていた。
解散後の展望と役割
餅田は、体型に悩む人のために「可愛い服を届けたい」という想いを語っていた。プロデュースを通じて、自分自身の人生を肯定するような提案ができればと述べていた。単なるブランド展開ではなく、「自己表現と他者支援の両立」を目指す姿勢がうかがえた。
一方、小野島は、地方移住後の生活をベースに「芝居や台本を書くことで自分を深めたい」と話していた。芸人としての枠を残しつつ、自らの言葉で物語を描く側面にも注力するという選択は、これまでのコンビ活動とは異なる軸を意識したものだった。
解散に込められた自立の選択
この解散における印象的な要素は、どちらかが一方的に進んだわけではないという点にある。構成上、餅田と小野島はそれぞれの得意分野を明確にし、相互に否定せず進む道を選んでいた。コメントや動画内容からも、歩幅を揃えて最後まで並んでいたことが読み取れていた。
発表の場を公式YouTubeにしたことも象徴的で、コンビとしての最終報告を“自らの声”で届けた構成だった。所属事務所や番組ではなく、自身のチャンネルで丁寧に閉じた姿勢からは、最後まで二人で歩んだという感覚が残されていた。
図解:駆け抜けて軽トラが解散に至るまで
① 結成(2017年)
松竹芸能に所属し、「駆け抜けて軽トラ」として活動を開始していた。
↓
② 個別活動の拡大(2022年以降)
餅田が単独での出演やブランド活動を進め、小野島も演技・脚本方面にシフトしていた。
↓
③ 解散発表(2025年7月2日)
YouTube上でコンビ揃って解散を発表し、それぞれの今後の活動方針を説明していた。
よくある5つの疑問
Q1. なぜこのタイミングで解散を決めたの?
→ 結成から8年という節目であり、個々の活動に軸足を置く時期と判断されたと明かされていた。
Q2. ケンカ別れや不仲だったの?
→ 解散動画では終始穏やかな雰囲気で、感謝と敬意を伝える場面が多く見られていた。
Q3. 今後も芸人としての活動は続けるの?
→ 小野島は栃木を拠点にピン芸人・役者として活動継続を表明していた。
Q4. 餅田は芸能活動を辞めるの?
→ タレント業も継続するが、今後は洋服プロデュースが中心になると語っていた。
Q5. 解散ライブはどこで見られる?
→ 長野県の「池田ふるさと祭り2025」でのステージが予定されており、その後YouTubeでも更新があると説明されていた。
記録から読み取れるまとめ
解散を迎える芸人たちの立ち位置
駆け抜けて軽トラの解散は、単なる終止符ではなく、芸人としての「役割と器の分化」を象徴していた。漫才やテレビ出演で形成されたキャラクターだけでなく、個々が持つ表現手段の多様化が前提にある。餅田は女優志望という原点に戻り、衣服という別のメディアを選んだ。一方、小野島は栃木という新しい生活基盤とともに、自身の物語を作る側へと移行していた。
二人の決断は、今後の芸人像に対しても1つの指針を示していた。発信の場所はテレビに限らず、活動の軸も笑い一辺倒ではない。芸人のままで変化を遂げるという選択は、時代の変化とともに「芸のあり方」が変わっていることを明確に示していた。