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大黒摩季55歳「ROCK宣言」ツアーと覚悟の現在地

シンガー・ソングライター大黒摩季が55歳で掲げた「ROCK宣言」。母の死、病気、離婚を乗り越え、自身の表現と人生を再定義した姿に迫ります。骨折を抱えてもなお続ける全国ツアー、異なるコンセプトの2枚のアルバム、そして“通訳”としての音楽哲学。限りある時間に集中する覚悟と、今の自分を肯定できる境地が交差するドキュメント。

 

大黒摩季55歳「ROCK宣言」

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55歳を迎えたシンガー・ソングライター大黒摩季が、新たな音楽人生への覚悟を示した。母の死、持病、離婚、骨折といった人生の試練を経て、自ら「ROCK」を掲げた彼女の姿は、2025年の全国ツアーと2枚の新アルバムに色濃く投影されている。音楽に託すのは、言葉にできない感情の通訳としての使命だった。

要点項目 内容
アルバム構成 「55 BLACK」(8月2日発売)と「55 RED」(秋発売)の2作を発表予定
全国ツアー 前半はROCK主体、後半はフラメンコ要素も含むドラマティック演出
骨折と演出効果 左手の骨折により、固定マイクでの演出がROCK性を強調する形に
女優経験が転機に 「ブラックペアン2」出演を機に内面の怒りと再対峙
音楽の哲学 自身を「通訳」と位置付け、リスナーの言語化できない感情を歌にする

ROCKとして生きる理由を見つけた──55歳の自己再定義

2025年、大黒摩季は55歳にして「ROCKである」と自身で言葉にした。きっかけはマネジャーの言葉だった。「母も看取った。もう好きに生きていい」と言われ、ふと自分がずっと“期待に応え続ける日々”に縛られていたことに気づいた。デビュー以来、ポジティブな象徴として受け止められてきたが、ふと「自分の本音はどこにあるのか」と立ち止まったという。

彼女の手には、フィンガーレスの長手袋。ロックな装いかと思えば、実は骨折した左手首を固定するギプスだった。5月10日、三重・四日市公演のアンコールで転倒し、左手をついた際に骨を折った。「頸椎が変形して、体の片側が弱っている。去年は膝も割れている」と語るように、長年の活動の蓄積が身体に現れ始めていた。

それでも彼女はマイクを固定し、ステージに立ち続けた。その姿に、「怪我もまたROCK」と称える声が上がった。実際、共演するギターの佐藤タイジ氏からは「折った方が声出てるんちゃう?」と冗談交じりの激励もあった。後半で怒りをぶつけるようなパフォーマンスには、自身でも驚くほどの熱量が宿っていたという。


怒りを解放した瞬間、ROCKが開いた

この自己変革の背景には、2023年に出演したドラマ「ブラックペアン2」の撮影経験がある。大学病院の副院長役として、小泉孝太郎と対峙するシーンで求められた「怒りの感情」が引き金となった。「母の介護の間、怒ることを自分に禁じていた」と語る彼女は、撮影の極限状態で突如、その怒りの記憶が蘇り、抑えきれないエネルギーとして噴き出した。

その瞬間から、感情を“歌に戻す”回路が再び開かれた。彼女は言う。「ロックは自分で名乗るものではないと思ってきた。でも、やっぱり私はロックでしか発散できなかった」。頸椎は今後さらに摩耗していくことを医師から告げられている。だからこそ「残された時間を本気で生きる」と腹を括った。

 

終わりを見据えるからこそ“今”を生き抜ける

55歳を迎えた大黒摩季は、「自分の終わり方、隠居するタイミングはおおよそ見えている」と語っていた。かつては不安でしかなかった“引き際”が、いまでは精神を安定させる軸になっている。「終わりが決められると、逆に“今”に集中できる。私はもう、自分の残せるものは“作品と記憶”しかないと決めている」と言い切った。

頸椎の摩耗は進行性であり、全身をフルに使ったステージはあと数年が限界とされる。それでも「まだ雲海のご来光を見たい」と語る姿勢に、燃え尽きる覚悟がにじむ。「90年代に“女の幸せ”をかなぐり捨てて得たヒット曲の財産がある。その意味が、今ようやく分かってきた気がする」とも話した。


2025年アルバム&ツアー展開

区分 概要 補足
アルバム① 55 BLACK(8月2日発売) ツアー前半を象徴するROCK路線。
アルバム② 55 RED(8月28日〜) フラメンコを取り入れた情熱的演出。
演出特徴 怪我によるマイク固定/反骨的パフォーマンス 左手骨折、頸椎の影響あり。
プロモ手法 アルバムはツアー終盤で発売 従来の“先行リリース→ツアー”と逆構成。
聴かせ方 サブスクに依存せず、“記憶に残る曲”重視 「もう一度聴きたい曲」を目指すと明言。

「夢や愛は素晴らしい」の“その先”を音楽で伝えたい

大黒摩季は、「学校では『夢は素晴らしい』と教えるけれど、その叶え方や愛し方は誰も教えてくれない」と語った。その答えを、自身は音楽から教わってきたという。

20歳の頃、初詣で「すべての感情をください」と願ったことを思い出す。それから数十年、病気、離婚、怪我、喪失という“感情のバリューセット”のような経験が押し寄せたが、それでも「今の自分が一番好き」と言える自分がいた。

音楽は、誰にも言えず抱えてきた痛みや叫びを代弁してくれるもの。彼女は「私は歌い手というより“通訳”なんです。誰かの心にある“言えなかった言葉”を、そっと外に出す役割」と語った。だからこそ、歌うことの意味が深まっている。

 

❓FAQ

Q1. なぜ今、大黒摩季は「ROCK宣言」をしたのですか?

A. 母の死や長年の病気、離婚などを経て、期待に応え続ける生き方を見直す中で、「自分自身の本音」と向き合った結果、「ROCK」として生きることに確信が持てたためです。

Q2. 左手の骨折はツアーにどのような影響を与えましたか?

A. 骨折によってマイクを固定した状態でのパフォーマンスとなりましたが、その制限がむしろ反骨的な演出として作用し、「ROCK性」がより強く浮き彫りになりました。

Q3. アルバム「55 BLACK」と「55 RED」の違いは何ですか?

A. 「55 BLACK」は大黒摩季の反骨精神やROCK路線を象徴し、「55 RED」はフラメンコの要素を加えた情熱的・ドラマチックな演出が中心になります。

Q4. ドラマ出演は彼女にどんな影響を与えましたか?

A. 「ブラックペアン2」で怒りの感情を求められたことが転機となり、長く閉じ込めていた感情が爆発。以降、自身の表現に新たな熱量が加わるきっかけとなりました。

Q5. 大黒摩季が音楽に込めている役割とは何ですか?

A. 自らを「通訳」と表現し、聴き手の中にある言語化できない感情や声を歌で代弁する役割を担いたいと語っています。

 

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まとめ

項目 要点
大黒摩季の転機 55歳を迎え、母の死や病気、離婚を乗り越えた末に、自ら「ROCK」を掲げる決意を固めた。
骨折とステージ演出 左手の骨折によりマイクを固定した演出が生まれ、それがかえって反骨的なパフォーマンスへとつながった。
感情の再発見 女優としての経験が、内に秘めていた怒りの感情を解放する契機となり、表現に新たな熱量が加わった。
自分の終わり方への意識 自身の限界を見据えることで、残された時間への集中力が増し、音楽活動にさらなる覚悟が宿るようになった。
音楽に込める思い 歌い手というより「心の通訳」として、誰かの言葉にできない感情を歌で代弁する使命を感じている。

「ROCKとは、終わりと始まりを両方抱く表現である」

大黒摩季が55歳にして「ROCK宣言」を口にしたのは、単なる音楽ジャンルとしてではなく、生き方そのものとしての自覚だった。母の介護、離婚、持病という現実を、ポジティブなキャラクターの仮面ではなく、音楽の言葉に変換し続けてきた歩みは、今ようやく「自分が一番好き」と言える地点にたどり着いた。

ROCKとは叫ぶことではなく、受け止めることでもある。終わりを受け入れた者だけが持つ静けさと強さを、大黒は歌に変えて届けようとしている。
その一音一音には、「まだ雲海のご来光を見たい」と願う歌い手の覚悟が宿っていた。