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青山剛昌の原点は“長嶋のマウンド姿” 『4番サード』から『名探偵コナン』へ続いた創作の道

名探偵コナン』作者・青山剛昌さんが語った原点は、少年時代に見た長嶋茂雄さんのマウンドでの姿でした。作文に書きとめた体験から『4番サード』の連載を経て、『コナン』に受け継がれた創作の歩みと、長嶋との精神的なつながりを追います。

 

青山剛昌の原点は“長嶋のマウンド姿”

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全世界で2億7000万部を突破した『名探偵コナン』の作者・青山剛昌さん。その原点は、少年時代にテレビで目にした「ミスター長嶋茂雄」の姿だった。大敗ムードの球場で、突然マウンドに上がり投げるしぐさを見せた長嶋さん。暗い空気を一変させた一瞬の光景は、青山少年の胸を強烈に打ち、やがて漫画家としての第一歩につながった。後年、『4番サード』で長島茂雄を主人公に描き、さらに『コナン』にも痕跡を残したエピソードの数々。偉大なヒーローとの出会いが、ひとりの漫画家の人生をどう変えたのかをたどる。

項目 内容
少年期の体験 青山剛昌さんは小学生時代、長嶋茂雄さんがマウンドに立つ姿をテレビで目撃し、感動を作文に書きとめた。
創作の原点 その経験が「面白く脚色する」発想につながり、漫画家としての原点となった。
『4番サード』 1991〜93年に週刊少年サンデー増刊で連載。主人公名を「長島茂雄」とし、ネームを8回直すほど苦闘。
名探偵コナン 94年開始。13巻や43〜44巻で「長嶋」の痕跡が登場。以後は描かず「完全燃焼」と語る。
訃報への反応 2025年の訃報で強い喪失感を抱き、所蔵していた関連書籍を読み返し追憶した。

少年期の衝撃体験と作文での表現

鳥取県大栄町(現・北栄町)で育った青山剛昌さんは、小学生時代から巨人のスーパースター長嶋茂雄さんに心を奪われていた。忘れられない場面がある。大洋戦で大敗していた試合中、交代を待つ観客からヤジが飛び交う中で、長嶋さんがマウンドに立ち投げるしぐさを見せた。もちろん実際に投球したわけではない。だが、その身ぶりだけでスタンドは沸き返り、重苦しい空気が一気に吹き飛んだ。

翌日、その感動を友人たちに語ろうとしたが、試合が敗色濃厚だったため、テレビを変えてしまった家庭が多かった。「長嶋がピッチャーやったの?」と尋ねられて「違う」と答えると、「つまらない」と返され、胸の高鳴りを誰とも共有できなかった。悔しさを抱えた青山少年は、家に帰ると作文用紙を取り出し、夢中で鉛筆を走らせた。「長嶋がサードからやってきた」「ニコニコしながらマウンドに立った」。その場面を自分なりに脚色しながら書きつづる作業が、何よりも心を満たしてくれた。

「誰にも話さず、自己満足。でも、それがいまの漫画に役立っていると思います」。青山さんは後年、こう振り返る。誰かに伝わらなかった感動を、どうすれば物語として面白くできるのか。幼い日の実体験が、物語を編む力の源泉となった。


『4番サード』で描いた憧れと苦闘

大人になった青山さんは、少年期の憧れを今度は漫画で形にした。1991年から93年にかけて『週刊少年サンデー増刊号』に不定期で掲載された『4番サード』。主人公の名は「長島茂雄」。当時、実際の長嶋さんは監督復帰前の浪人期間にあったが、「一番わかりやすい名前」として選ばれた。

この作品では、守備の場面で長嶋さんの華麗なグラブさばきを参考にし、打撃では清原和博氏のフォームを取り入れるなど、実在のスターの動きを丹念に研究して描いた。青山さんは「とにかくネームが通らなかった。8回は直した」と明かしている。机に向かい全身全霊で格闘した制作の日々。結果として、1993年2月号で最終回を迎え、青山さんにとって初めて「きちんと完結した」作品となった。

「自信がつきました」と本人が語るように、創作上の試練を乗り越えた経験は、その後の代表作『名探偵コナン』へと確かな礎を築いた。野球への情熱と、漫画家としての成長が交差した『4番サード』は、青山の原点を証明する一冊となった。


作品と実人生の連続性整理表

時期 出来事
1970年代前半 小学生時代に「長嶋がマウンドに立つ」場面を目撃。作文に書きとめ創作体験の原点に。
1991〜93年 『4番サード』を週刊少年サンデー増刊に連載。主人公は「長島茂雄」。8回のネーム修正を経て1993年に完結。
1994年 名探偵コナン』連載開始。当初は短期連載のつもりが長期シリーズへ発展。
1990年代後半 コナン13巻「怪獣ゴメラの悲劇」で長嶋が会話に登場。43〜44巻で「4番サード」の長島が甲子園決勝に挑む場面を描く。
2025年 長嶋茂雄さんの訃報に触れ、強い喪失感を抱きつつ、所蔵していた「長嶋茂雄ドリーム・トレジャーズ・ブック」を読み返した。

 

名探偵コナン』に息づく“ナガシマ”の影

1994年に連載が始まった『名探偵コナン』は、推理漫画として世界的な人気を獲得していくが、そのなかにも青山剛昌さんの原点である“ナガシマ”の痕跡が残されている。

第13巻に収録された「怪獣ゴメラの悲劇」では、登場人物の会話に長嶋さんの名前が登場する。さらに第43巻から44巻にかけて描かれた高校野球のエピソードでは、『4番サード』の主人公・長島茂雄が甲子園決勝に挑む姿が描かれている。青山さんは「長島君は描ききった。決勝の結果も濁したい」と語り、それ以降は長島を登場させることはなかった。

子どもの頃に感じた憧れを、青年期に漫画として描き切り、その後の代表作に織り込み、やがて完全燃焼として終止符を打つ。青山さんにとって“ナガシマ”は、創作の原点であり、同時に一度きりの特別なテーマであった。


長嶋と青山に共通する“ファンへの姿勢“

長嶋茂雄さんは現役時代から「ファンあってのプロ野球」と語り続けていた。その姿勢は引退後も変わらず、多くのファンを魅了した。青山剛昌さんもまた、担当編集者から「青山さんのファンサービスの姿勢は長嶋と重なる」と指摘されている。

読者を第一に考え、サービス精神を忘れない点で、二人は共通している。長嶋さんのヒーロー像に憧れた少年が、今や世界中のファンに向けて物語を届けている。重なり合う精神性が、青山作品の強い魅力のひとつになっている。

 

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創作の歩みの流れ

段階 出来事 創作への影響
少年時代 テレビで「長嶋がマウンドに立つ」姿を目撃 作文に書きとめ、物語化の発想を得る
青年期 『4番サード』を連載(1991〜93年) ネーム修正を繰り返し、漫画家としての基盤を形成
転機 名探偵コナン』連載開始(1994年) 世界的ヒット作に成長、長嶋モチーフも随所に登場
成熟 『コナン』43〜44巻で長島を描ききる 創作上の「完全燃焼」を達成
追憶 長嶋訃報を受け、書籍を読み返し回想 原点を再確認し、作品と人生の結びつきを振り返る

創作の原点が示す“物語化の力”

青山剛昌さんの物語作りの根底には、「伝えられなかった感動を物語として残す」という姿勢がある。少年時代、友人に語っても伝わらなかった感動を作文にした経験。あのときの悔しさが、誰もが共有できる作品を生み出す力となった。

『4番サード』での苦闘と達成感は、のちの『名探偵コナン』を生み出す自信につながった。さらに長嶋への憧れを作品内に織り込み、やがて完全燃焼を迎えるまで描ききった姿勢は、作家としての誠実さを物語っている。

個人的な体験を脚色し、多くの人が共感できる形に仕立て直す――その“物語化の力”こそが、青山作品を支える最大の原点である。


FAQ

Q1. 青山剛昌さんが長嶋茂雄さんを初めて描いた作品は?
A1. 1991〜93年に週刊少年サンデー増刊で連載された『4番サード』です。主人公の名前を「長島茂雄」としました。

Q2. 『4番サード』制作で一番苦労した点は?
A2. ネームが通らず、8回も描き直したことを青山さん本人が語っています。

Q3. 『名探偵コナン』に登場する“長嶋”要素は?
A3. 13巻「怪獣ゴメラの悲劇」に名前が登場し、43〜44巻では『4番サード』の長島が甲子園決勝に挑む場面が描かれています。

Q4. 青山さんが長嶋さんと会う機会はあった?
A4. 実際には会っておらず、「漫画家として『4番サード読みましたか?』と聞いてみたかった」と心残りを語っています。

Q5. 長嶋茂雄の哲学と青山剛昌の共通点は?
A5. 「ファンあってのプロ野球」と語った長嶋さんの姿勢と、青山さんのファンサービス精神が重なる点です。


まとめ

項目 内容
原点体験 小学生時代、長嶋茂雄がマウンドに立つ姿に感動し、作文に書きとめたことが創作の原点に。
初期作品 1991〜93年に『4番サード』を連載。ネーム修正を繰り返し、漫画家としての自信を獲得。
コナンとの連続性 1994年からの『名探偵コナン』に“ナガシマ”の痕跡が登場。43〜44巻で完全燃焼。
共通する哲学 長嶋が掲げた「ファン第一」の姿勢と、青山のファンサービス精神が重なり合う。
追憶と喪失 長嶋の訃報に触れ、関連書籍を読み返しながら強い喪失感を抱いた。